秦恒平「親指のマリア」に見るシドッチと新井白石
最後の潜入宣教師シドッチが所持していた聖母画像「親指のマリア」と「大世界地図」をシンボルに、『西洋紀聞』の背後の闇に光を当てる、著者渾身の長編小説。
こう解説のある秦恒平著「親指のマリア」(筑摩書房 1990年)を大学図書館で借りて読みました。借りたときから読み終わるまで半年をかけてしまったなかなか読み応えのある本でとても面白かったです。
この本は次のような構成になっています。
聖母の章(ヨワン1)ここではシドッチがなぜ迫害うち続く日本に行くことを決意したかといういきさつが書かれています。
潜入の章(勘解由1)種子島でつかまって、江戸に護送され、キリシタン屋敷で新井勘解由(白石の別名)と出会うところまでが書かれています。
審問の章(ヨワンⅡ)勘解由との応酬について、書かれています。でもここは世界情勢についての話しが中心。
福音の章(勘解由Ⅱここでは勘解由とのキリスト教についての説明が始まります。
洗礼の章(ヨワンⅢ)シドッチの世話をした長助とはるという「兄妹」が牢にいたシドッチから洗礼を受けるまでを書いています。
殉教の章(勘解由Ⅲ)長助とはるの洗礼を知った勘解由とシドッチの対面、そしてシドッチが土牢に閉じ込められて死に至り、白石は「西洋事情」を書き出す。
やはりこの著のハイライトはシドッチと白石との対話の内容にあると言えましょう。最初は世界情勢や西洋の話を聞き出していたのですが、ついにはキリスト教について説明をはじめます。
ここを書ききるのは、キリスト教の歴史と聖書に対する深い知識が必要になります。著者は別にクリスチャンではないようですが、驚くほど正確にキリスト教の理解を表現しています。
私が特に気に入ったのは次のような箇所でした。
シドッチは、ローマ帝国の賢帝アルクス・アウレリウスの「自省録」を愛読していた。
そして15世紀カトリック教会の枢機卿で教皇代理を務めたことのあるニコラウス・クザーヌスを尊敬していた。
人は−とクザーヌスはといていた。自分の知識を絶対のものと思い込むときとかく他人の立場が理解できず、独善に陥る。そして平気で他人の振る舞いを責め立て断罪し、聖戦という勝手な名分で他人への過酷な攻撃に走る。真のカトリック教徒は、だが、キリスト教の愛にならって他の宗教の人びとを宗教上の立場が違うという理由で迫害も侮辱もしてはならない。異なる習慣や伝統に生きている民族や国家を寛容にキリストの愛へ誘わねばならない。と。
ローマ教会にしたがう誰もがカトリックのために異端者・異教徒を殺戮し、掃滅する神への奉仕と考えていた時代に、クザーヌスは一人そう唱えていた。「戦争とはこれほど不幸なことか」というつぶやきを、58歳最期の反省として戦陣に死んだマルクス・アウレリウス帝は異教のローマ皇帝の人間像と「健康なカトリック」を心から望んだクザーヌスの御主への愛とは彼シドッチの思いの底でいつとはなく豊かに一つに重ねられていた。
ルカ伝とマタイ伝とを読んでいたときに、かれの二人の弟子ーヨセフ長助とマリアはるがーもっとも感動したのは、こういう点だった。
イエズスが、神の子として世に現れるために、またダビデの家系に名を連ねるために、大きな二つの承諾、深い信仰からの承諾が必要だった。
一つは、マリアが、神と聖霊とにより処女の身でみ子を孕したと天使に告げられた際に「み心のままになりますように」と受け入れていた。
今ひとつは、神に愛されたアブラハムの子孫、ダビデの子孫のヨゼフが、すでに身籠もった処女マリアを、神の望まれるままに妻として受け入れていた。キリスト教の成るこの二つの承諾はかけがえのない信仰の証しだった。
この書のタイトルになった「親指のマリア」の絵について、前にも書いたことがある。カルロ・ドルチェの描いたマリアには「悲しみの聖母(マリア)」と「親指のマリア」という二つのよく似た絵が存在する。
一つは、青いマントから手を出して組んでいる「悲しみの聖母」像で日本には国立西洋美術館の常設展にある。
もう一つはシドッチが持ってきた「親指のマリア」像で、マントから親指をちょこんと出しているマリアである。こちらは国立博物館にあるが、常設ではないので、なかなか見る機会がないとのことである。この絵にシドッチがどれだけ慰められたことか………。