教会ホームページの活性化のための10の提案

1.教会が活性化すればするほど、教会ホームページも活性化する。そうでない場合、つまり教会ホームページは活性化しているが、教会は沈滞しているという羊頭狗肉なケースも「あり」。教会ホームページが教会を活性化することもありうる。
2.教会の建物や設備よりも、そこにどれだけ「信仰の喜び」が表現されているか、それを読み取れるホームページでありたい。
3.教会ホームページは、教会メンバーを対象とするのではなく、キリスト教を知りたいという人、教会を知りたい、行ってみたいという人の「目線」で表現され、そのニーズに親切に応えるものでありたい。
4.その教会ホームページの、ほかにはどこにも書かれていない個性的でユニークなコンテンツこそが《たから》である。どこにでも書かれているようなことは書かれているどこかとリンクをはればいい。
5.教会の信徒の《いきざまと信仰》があふれ出ている、この教会に行ってこの人と会ってみたいと思わせるような内容をあふれさせよう。
6.教会と地域との関係を表した記事も貴重な《福音=good news》である。町おこしや地域行事への参加、地域で活躍している人の紹介など。その地域を知るために調べているうちに教会ホームページに迷い込んでしまったというケースが生じるのが理想的である。
7.たとえば、キリスト教や信仰についての質問が投稿されるとする。それに神父さんだけが応えるのではなく、いろいろな人があれこれと異なった答えをできるシステムがあったらいい。
8.教会で行われている「入門講座」と連動しているホームページでありたい。
9.他の教会ホームページで行われていること、かかれていることを自分の教会でもやってみて、リンクを張る。他の教会のコンテンツもあたかも自分の所のもののように取り込むというのがかしこいやりかたである。
10。教会ホームページに笑顔の写真を溢れさせよう。人の顔をぼかしたり、顔のない写真をアップするのは《愚の骨頂》である。プライバシー恐るるに足らず。
11.ホームページに掲載する記事を主任司祭の事前検閲制ではなく、アップしたらそれをチェックするというし事後報告制にする。
12.その教会の独自なテーマがあったらいい。たとえば「家族」たとえば「教会と音楽」たとえば「祈り」。そのことを知りたいならそのホームページにいけばいいというふうになったらいい。リンク集だけでもいい。たとえば「キリシタンを主人公とする小説リンク集」みたいなもの。

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大震災の時に流れた Good News

2019年5月25日京都のカテドラルで京都教区福音宣教企画室主催の役員・広報担当者研修会がおこなわれます。
わたしはそこで「ソーシャル・ネットワークで福音を発信する」というテーマで講演をします。
そのときに「大震災の時に流れてきた Good News」を紹介しようと思います。

「あなたがたの神を拝ませてください」

「Finding Faith amid Disaster(悲劇の中に信仰を見出す)」

Finding Faith amid Disaster

「10 Things to Learn from Japan 日本から学ぶべき10のこと」

なぜこんな悲しいことが………1

なぜこんなに悲しいことが….2

追善供養合同祈願祭 in 鎌倉

大船渡のイーピックスからの Good News

驚きのハレルヤコーラスを見つけた

日本人の静かなパニック

『復興の狼煙」ポスタープロジェクト

『復興の狼煙」ポスタープロジェクト

「風評被害」野菜の産直販売を教会でしました

地獄の中に天国が立ち上がる A paradise built in hell 「災害ユートピア」

これをみての感想をお書き込みください。

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『平和ってなんだろう~「軍隊をすてた国」コスタリカから考える』

Satoshi Nakai さんのfacebook で「読書記録」が紹介されたので、ここでシェアします。

今月の読書記録3冊目!
『平和ってなんだろう~「軍隊をすてた国」コスタリカから考える』

 第二次世界大戦後、その紆余曲折は異なれど、日本と同じように平和憲法を持った国がありました。それがコスタリカです。植民地でしたから未だ発展途上国でそれほど豊かな国ではありません。が、この国は軍隊を持たないことを決めた国です。そして軍隊を持たないことでの平和外交を繰り広げています。同じ平和憲法を持った国の別の道筋をコスタリカは日本に見せてくれています。日本は豊かな国です。間違いないだろうと思います。でもそれは、全体的にみたらそうだということです。残念ながらそれを享受できない人達もいるし、そもそも豊か=平和ではありません。幸福度が高いわけでもありません。逆にコスタリカは豊かではないですが、この国の国民達は民主主義をよく理解し、幸福を感じ、平和を感じながら生きています。
 作中にこんなことが書かれていました。「多くのコスタリカ人は普段、軍隊のことなど口にしない。にもかかわらず、軍隊は必要かと直に問うてみるとほぼ100%の確率で「必要ない」もしくは「あってはならない」と答える。」という文です。軍隊を持たないことで様々な国難にも見舞われましたが、軍隊を持たないことでそれに耐えることが出来ました。
私たちは北朝鮮、韓国、中国などとやり合っていくためには軍隊が必要不可欠ということが当たり前になって、私たちは実は思考停止になっているかもしれません。そう思わせる作品でした。この本を書いたコスタリカ専門家の足立さんもやはりヨハン・ガルトゥングの影響を受けていました。私に新しい気づきを与えてくれました。読了^^

そうしたら映画「コスタリカの奇跡」という映画を誰かが紹介していました。
こちらもチェックしてみてください。

本も映画も早速見てみたいものです。

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Siervas シスターズのロックバンド

今、パナマで開かれているWorld Youth Day (WYD) には日本からも代表団が送られている。WYDにはローマ教皇も参加し、100万人規模の参加者が集まるという。このWYDにゲスト出演が予定されているのが、ペルーの修道女たちのロックバンド Siervas である。

以前イタリアのウルスラ修道女会のシスターがヒットを飛ばして有名になったことがあったが、これはペルーのServants of the Lord and the Virgin of Matará (SSVM) という修道女会の11人のシスターで構成されている。そのなかにはヴァイオリンをひいている Sr.Arisa という名の日系人も加わっている。
修道服が皆異なっているので違う修道会のシスターたちかと思ったがそうではないらしい。
SIERVAS スペイン語で service という意味。
YouTube には数曲がアップされている。

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「恥」という漢字はなぜ「耳へん」なのか?

漢字のなかにこの字はなぜこういうつくりなのか?という疑問をもつことがある。以前い「虹」はなぜ虫へんなのかという問いをもって調べたことがある。
今回は「恥」という字はなぜ耳へんなのかということをしらべてみた。

そうしたらここに答えをみつけた。

中国語のよみが共通だったという形成文字説。
「耳のようにやわらかく、心がやわらぎいじけてしまう」という意味
「はずかしい」とまず「耳」が赤くなるから、それで「恥」と書くのだ、という会意文字説

私は恥をかくと耳があかくなるからという説がもっともらしいとおもう。

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須賀敦子詩集から 「主よ 一羽の鳩のために」

須賀敦子の詩集が発見され、この3月に河出書房新社から刊行されたという新聞記事をよんでさっそくアマゾンに注文した。
その帯にはこう書かれていた。

30歳の日々、ローマでひとり呼びかけつづけた「あなた」への魂のことば ―
没後20年にして新たに発見された詩稿は、須賀敦子が詩人であったことをあきらかにした。祈りと慰めの韻律は、静かに、そして深く、心をゆるがす。

ぼく自身は信仰についてなにも知らないまま、信仰ある人々は常に内心で主に話しかけているのではないかと想像している。祈ることは勝手な欲望を訴えることでなく、まずもって語りかけること、答えを期待しないままに思いを伝えること、それによって結果的に自分を律することではないだろうか。(池澤夏樹「解説」より)

いい詩がたくさんあるけれど、やはりこの詩集の標題となった「主よ 一羽の鳩のために」を含「同情」という詩がいちばんいい。

同情

つめたい秋の朝の
ラッシュアワーの停車場前
がつがつとパン屑をついばみ
せはしげに まばたきして うずまく
青、灰、緑の
鳩の波に
ひとり 背に 首をうづめて
うごかぬ おまへ
セピア色の 鳩よ。

あゝ
わらっておくれ
うたっておくれ
せめて みなにまじって
わたしを安心させておくれ。

(いろがちがうからといって
なにも おそれずとよいのだ。)

主よ 一羽の鳩のために
人間 が くるしむのは
ばかげてゐるのでせうか。

ヴィクトリア・ステーションにて 1959/9/7

(もつことは)

もつことは
しばられることだと。

百千の網目をくぐりぬけ
やっと
ここまで
ひとりで あるいてきた私に。

もういちど
くりかへして
いひます。

あなたさへ
そばにゐて
くだされば。

もたぬことは
とびたつことだと。

1959/6/25

あとの詩は、わたしに須賀敦子を紹介してくれた人にすすめたい詩である。

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「福音的おめでたさ」こそわが最良のたまもの(カリスマ)

わたしはよくひとから「あなたっておめでたいひとね」といわれる。ふつうだったらすこしばかにするような意味合いがないわけではないのだが、わたしはなぜかこういわれるとわるい気はしない。むしろ最上の褒め言葉にきこえてしまうところがまさにおめでたい所以であろう。

そこでおめでたい人というのはどういう人なのだろうか。ネットでしらべてみた。
「物事を楽観的に考えている人のこと
いい意味の時は、普通ならすごく傷ついたり落ち込みそうな出来事に遭遇しても、感じないで、自分にいいように解釈してしまう無邪気さやある意味でのパワー。
良くない意味では、そのような出来事に遭遇しても気づかないばかりか、その明るさが逆に、周りを引かせてしまうような、そんな感じ。」
「おめでたいひとの思考は現実化する」(和田秀樹著)には「行動さえすれば手に入るものは多いはずなのに、チャンスを逃してしまうことが問題で、これでは国力も落ちて当然だ。そんな状況を打破できるのは、『考えても仕方ないことは考えない』『まず行動してみる』おめでたい思考パターンを持つ人たち。」

<おめでたい人の特徴>
・周囲の批判は気にしない
・褒められると真剣に喜ぶ
・考えるよりまず行動する
・世の中が決めた「正解」なんて信じない
・うまくいかなければすぐ次にいく身軽さがある

この「おめでたき人」とにた意味のことばに「能天気」とか「極楽とんぼ」とかいうことばがある。これもしらべてみた。
能天気なひと=深く考えこまず気楽な態度を取っているさま、などを意味する表現。
 能天気とは、頭の中が快晴であるという意味だが、空が澄み渡るように頭脳明晰であるということを言いたいのではなく、空に雲一つないようになにも考えていない様子を言い表している。普通の人間なら将来に不安を抱いたり、現状を思い悩んだりして、雲のふたつやみっつ空に浮かび、太陽もかげりを見せているだろうに、そうはなっていないことから、要するに頭の中が澄み渡るようにハッピーな状態を能天気と言うのであって、そんなお気楽な人を、どんよりと曇った頭を持ち日々愚痴と不満たらたらで過ごしている人が「このバカが」と思いつつも、うらやんで言う言葉である。
極楽とんぼ=「とんぼ」は昆虫のトンボのことで、のんきに生活している者を極楽を飛ぶトンボのようなものと喩えた言葉である。

わたしのこの「能天気さ」「極楽とんぼ」「おめでたさ」をわたしは『福音的おめでたさ』とよんでいて、神さまからわたしにたまわったかけがえのない最良のたまもの(カリスマ」だと思っている。

いま、パウロ学園高校で「宗教」を教えていてつくづくそう思うのである。

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ユダや独立戦争と原始教会

 このレポートは1995年度後期の上智大学神学講座の「原始教会の形成と発展」(講師百瀬文晃神父)のレポートとして提出したものである。いまここに必要とされていると思うので再録したい。
 このテーマと同趣旨の内容をラジオ「心のともしび」の原稿として書いたことがあるのだが、この内容はラジオ「心のともしび」にはふさわしくないとされてボツとなったといういきさつがある。
 私にはこの内容はキリスト教会でもあえて触れられていない歴史に思えるのだが、なぜだろうか? 私には謎めいている。
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1995年度後期神学講座 レポート
科目 宗教史「原始教会の形成と発展」 講師 百瀬文晃師
ユダヤ独立戦争と原始教会

1.ユダヤ戦争に新約聖書はなぜ「沈黙」しているのか

 新約聖書のなかで最初に書かれたものはパウロによる「テサロニケ人への第一の手紙」であり、その時期は50年頃であるとされている。そして最後はヨハネ文書で、その時期は100年頃であるという。
 この時期のエルサレムは2度にわたるユダヤ独立戦争にあい、エルサレムは陥落し、廃墟と化した。多くのユダヤ人たちはこの戦争で殺され、奴隷となり、そして離散した。
 しかし、新約聖書はこの戦争についての記述が全くない。それはいったいなぜなのか、この戦争に対してキリスト教徒(まだこの時はキリスト教徒ではなく「ナザレ派のユダヤ教徒」)はどのような態度をとったのか、そしてこの戦争が原始教会の形成と発展にどのような影響を与えたのか、このテーマを考えることは「戦争と平和」にたいするキリスト教徒の態度を考えるためにも、そして「原始教会の形成」と福音書の内容を考えるためにも重要な示唆を与えるのではないかと思う。

エルサレム陥落と原始教会

 50年頃にエルサレムで開かれた使徒会議は、ユダヤ人キリスト教徒と異邦人キリスト教徒対立を示した。律法の遵守を異邦人にも求めようとするユダヤ人キリスト教徒と、割礼や律法からの自由を標榜するパウロやバルナバらの異邦人キリスト教徒との対立は、ペトロの調停で妥協点が見出され、ここでは決定的な分裂はもたらされなかった。
 しかし、エルサレムを拠点としていたユダヤ人キリスト教徒たちは高まるユダヤ独立運動に否応なく巻き込まれ、その求心力は急速に衰えていく。エルサレム教団のリーダーだった「主の兄弟」ヤコブはユダヤ的狂信の犠牲となって殉教し、そして第一次ユダヤ戦争でエルサレムが占領されるとともにエルサレムのユダヤ人教会も解体を余儀なくされる。 教会の中心はシリアのアンティオキアの異邦人キリスト教徒の教会へと移行していく。パウロは地中海沿岸のディアスポラのユダヤ人や異邦人たちを対象とした宣教に力を注ぐ。
 彼の信仰は全く民族意識にとらわれずにキリストの福音の純粋な内的信仰にのみ依拠した世界主義的な脱ユダヤ人のキリスト教へと脱皮していく。

David Robertsによる第一次ユダヤ独立戦争(作:1850年)

3.ユダヤ人キリスト教徒の態度

 第一次ユダヤ独立戦争において、ユダヤ人キリスト教徒はどのような態度をとったのであろうか。
 4世紀に書かれたエウゼビオスの「教会史」ならびに5世紀のエピファニオスの「異端反論」によると、エルサレム教団は「戦いに先立って」ヨルダン川の東にあるペラという町に脱出し、エルサレムの陥落は「すべての」キリスト教徒が立ち去った後におこった、とされている。つまり、戦いには加わらなかったというのである。
 ハンス・キュンクもその著「教会論」のおいてそのような立場をとる。「パレスチナのキリスト教徒は、ローマに対する反乱には参加しなかった。そのため民族の裏切り者とみなされ、迫害されたので、彼らはヨルダン川の東の地域に逃れ、シリアとアラビアの境に当たる地方にキリスト教信仰を広めることになった」(「教会論 上」石脇・里野訳 新教出版社 P178)ただキュンクによればペラへ逃れたのは戦いを避けたのではなく、迫害を避けたからということになる。

4.マタイ福音の立場

 「祖国のために戦わずに、祖国から逃げ出した」ということの非難を一身に受けてそれに反論をしているのはマタイである。マタイは廃墟と化したエルサレムで武器を取って戦わなかったことがイエスの教えに忠実であることを示そうとした。
 マタイの福音書の24章16節に「荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのをみたならば、そのときユダヤにいる人は山に逃げよ」というイエスの言葉がある。その「主の戒めをよく守って、キリスト教徒は嵐の最初の遠鳴を聴いてヨルダン川の向こう岸のペラに逃げてしまった」(「教会史」ロルツ著 P51)という。
 そういわれてみると、マタイ福音書には「平和」と「迫害」に関する記述が多い。
 あのマタイの「山上の垂訓」はルカの平地の説教との間に際だった違いがある。ルカが「貧しい人は幸い」といっているのに対して、マタイは「心の貧しい人」といい、「飢える人は幸い」というルカに対し、マタイは「義に飢え渇く人」という。マタイの方が精神的な「貧しさ」や「飢え」を問題にする。さらに、マタイには「平和をもたらすものは幸い」「迫害を受けるものは幸い」というルカにない句がある。
 また、「汝の敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(5章44節)や「剣をさやに納めなさい。剣をとるものは皆剣で滅びる」(26章52節)というようなイエスの言葉が目立つ。
 これらのマタイの記述は、ユダヤ教徒からの批判にイエスの言葉に忠実に生きたということをもって応えようとしているように思える。マタイの平和主義はそのようなユダヤ教徒の批判に対してユダヤ人キリスト教徒の精いっぱいの反論であるだろう。

5.ペラ移動説への疑問

 このユダヤ人キリスト教徒の「ペラ移動説」には疑問も多い。「キリスト教史1」(半田元男著 山川出版社)によれば、「これは何とも奇妙な話し」になる。
 第一にユダヤ人が戦いへの激しい決意に燃えていたエルサレムから、ローマ軍の厚い包囲網を突破して脱出することの困難さをあげている。第二になぜペラという土地を選んだのか、この事情も理解できないという。ペラにはエルサレムから脱出したキリスト教徒よりもガリラヤから避難してきたキリスト教徒がいたのではないかと推測している。
 それでは、エルサレム教団はいったいどうなったのか。「キリスト教史1」では一部エジプトへ脱出したものがあるが、大部分はエルサレムに集結し、同胞ユダヤ人たちとともに戦って玉砕したのではないかと述べる。
 その根拠として、「キリスト教側文書の完全な沈黙」をあげる。異邦人対象に書かれたキリスト教文書にエルサレムでユダヤ人キリスト教徒たちが玉砕したということは「まことに扱いにくい厄介な問題」となり、これは「完全な沈黙に消し去らなくてはならなかった」というのである。

6.ユダヤ教との完全な決別

 エウセビオスの「教会史」によると、エルサレム陥落後のユダヤ人キリスト教徒はなおもそこに残存し、「主の兄弟ヤコブ」の後継者として、イエスのいとこに当たるクロパスの子シメオンを選び、以後15人の主教がそこにいたということになっている。確かにペラや近郊に脱出したキリスト教徒のうち一部はパレスチナに戻り、教会を再建したというのは考えられるが、15人の主教がなおもエルサレムにとどまるというのは「後のエルサレム教会をキリスト教の母教会と思う心情が生み出した伝説」(「新約聖書-私のアングル」速水敏彦著 聖公会出版 p268)であり、事実とは違うのではないかと思う。
 一方ユダヤ人たちは、エルサレムを脱出したパリサイ派のヨハナン・ベン・ザッカイに率いられ、ヤムニアに律法学院を作る。この学院が作った「18の祈願」のなかに「裏切り者の滅びの祈願」があり、「ナザレ派キリスト教徒への呪いの言葉」が祈りとして唱えられるようになる。ユダヤ人のキリスト教徒が裏切ったことへの憎しみの強さがかえってユダヤ人キリスト教徒が戦わずに逃げ出したということを物語っているのかもしれない。この「祈願」が採用されるのは85年頃といわれる。
 この「異端者への呪い」は各地のユダヤ教のシナゴーグに伝えられ、これによって完全にキリスト教徒は会堂から追放される。パリサイ派のヤムニアのユダヤ教とキリスト教徒との対立を強く意識したのはヨハネ福音書である。ヨハネ文書にはこの「会堂追放」ということが3カ所現れる。ヨハネはこのヤムニアのユダヤ教への批判に応える形で生み出された弁証の所産であるということは、マタイ福音書と同質の背景をもっていることとして大変興味深い。ただマタイとヨハネの現れ方はかなり異なっている。マタイがユダヤ人ということに固執しているのに対し、ヨハネにはもうユダヤ人への執着は全くないといってもいいだろう。
 ユダヤ教徒の決別にとどめを刺す事件が第二次ユダヤ戦争、いわゆるバル・コクバの反乱である。これが135年に鎮圧されて、エルサレム教会の信徒たちは他のユダヤ人と同様に再びエルサレムには入れなくなり、アンティオキアやヘレニズム世界の諸教会に吸収されていき、エルサレム教団は消滅していく。キリスト教はユダヤ社会と決別し、世界宗教になる。

                              7.終わりに

 このテーマを研究するねらいは、なぜ新約聖書がユダヤ独立戦争に対して「完全な沈黙」を保っていたのかということであった。この疑問は解けなかった、というよりますます膨らんでいる。とくにパウロをはじめとするヘレニストキリスト教徒が何も触れていないことが奇妙である。
 ローマに対する不必要な刺激を避けていたのかもしれないことは容易に推測されることであるが、それにしてもマタイやヨハネの立場とずいぶんと異なっている。
 ペラに脱出したかどうかということはともかく、おそらくエルサレム教団はこの独立戦争に武器を持って戦わなかったのではないかと思う。マタイ福音の平和主義をみても、ユダヤ教徒のキリスト教徒に対する「裏切りの呪い」の強さからみても、そう判断される。
 特にマタイの平和主義の主張はマタイのおかれた歴史的背景の中で読んでいくと、とても興味深いものがある。エルサレム教団がユダヤ独立戦争で武器を取らずにエルサレムを抜け出したことは、イエスの示した平和主義に「忠実に生きた」こととしてもっと積極的に評価していいのではないかと思う。 
  

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「?が!に変わるとき」小国綾子著を読んだ

 鶴見図書館に「?が!に変わるとき」(小国綾子著 汐文社刊2014年刊)という本があったので借りて読んだ。著者は毎日新聞の記者。私は毎日新聞を購読しているのでこの記者のコラムをよく読んで切り抜くことが多い。毎日の女性記者たちが書くコラムはいつも楽しみにしていてでていると必ず読んでしまう。
 それとこのタイトルがいい。疑問符が感嘆符に変わるときというのは新聞記者の仕事そのものだという。

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 子どものころは、回り道や迷い道が怖かった.でも今は違う。迷うのは自分で選ぼうとしている証拠。自分の頭で考えている人だけが得られる「勲章」みたいなものだ。そしてどうしても迷ってしまったときは、<やったことのない方を選ぶ>と決めている。

できることでできないこともある。できないことでできることもある。

 この新聞記者は子どもを授かって育児休暇中に、生後6カ月の息子を連れてスペインに3週間の旅に出かけた。こどもに「あんたは最高の旅の相棒だよ」というくらいにいい旅だったという。

 このたびは「赤ちゃんがいるけどできる旅」なんかじゃない。息子がいてくれるから出会える人、出会える光景がある。「赤ちゃんがいるからできる旅」なんだ。

 すべての人生の体験は、できたという体験も、できなかったという体験も同じくらい、記事を書くことにいかすことができる。できることとできないことには、同じくらい意味がある。どんな悲しい経験も、情けない失敗も、悔やんでも悔やみきれない過去も、記事を書くときには道を示す羅針盤となってくれる。それが新聞記者、という仕事だ。

 同じく新聞記者の夫がアメリカ駐在員になったときに、著者は新聞社を辞めて夫と子どもを連れてアメリカの生活をした。新聞社は辞めたけれど新聞記者の仕事はやめなかった。

 知れば知るほど書けなくなるなら、なにも知らない今がチャンスなのかも。
 知らないからこそ、書けることだってあるんじゃないの?
 書きながらこの国を知っていけばいいんじゃないの?
 今、思えば向こう見ずな結論だ。それでも、私は即決で週刊誌連載の話を受けた。
 連載するにあたって、最初に決めたことがある。それは「専門家を目指さない」ということ、「知らないことは知らない、と正直に書く」ということ。

 できるだけ遠くの人に言葉を届けたい―――。
 ………………
 似た考えの人に言葉を届けたいんじゃない。内輪で盛り上がるだけじゃ嫌だ。もっと遠くにいる、手の届かないところにいる、考えの違う誰かに、読んでもらえるようなものを書きたい。批判されてもいい。「賛成」や「反対」に簡単に色分けできるものではなく、対話のきっかけになるような、お互いに歩み寄るための橋を架けられるような、そんな言葉を届けたい。

 この本には著者の新聞記者としてのこれまでの生き方がよくわかってとてもおもしろかった。巻末に著者のFBのアドレスが載っていたので、思わず友だちリクエストをしてしまった。

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紙皿回し

【遊び方】紙皿を2枚貼り合わせたものに紙コップの底を取り付け、ヒゴでコップの底を引っかけてまわす。

【材料】紙皿2まい、紙コップ、30cmのヒゴ、両面テープ、ビニールテープ
【道具】はさみ、カッターナイフ
【作り方】
1.紙皿2枚を両面テープとビニールテープで貼り合わせる。
2.紙皿の表と裏にカラーシールや折り紙などで飾りつける。
3.紙コップの底をハサミとカッターを使って糸底をつくる。
4.それを紙皿に貼り付けて完成。



【応用】どういうふうにしたらうまく回せるようになるかいろいろと試しながら作ってみよう
『紙皿を変える』
1.紙皿ではなくアルミ皿を使ってみる
2.紙皿も丸いのだけでなくて四角のものや大きいものを使ってみる。
3.紙皿の張り方を重ね合わせだけでなく、腹合わせにしたり、背中合わせにしたりする
4.紙コップの底を紙皿の裏だけでなく表に貼ってみる。
5.貼り合わせる枚数を変えてみる。
『回し棒を変える』
1.長さを変えてみる 1mの棒、割り箸、えんぴつ、
2.棒の先はとがらせるか、丸くするか、まっすぐに切るか
3.棒はしなるようなやわらかいものがいいか、木、竹ひご、針金
『糸底を変える』
1.糸底を紙コップの底を1cmくらい高くする
2.紙コップの大きさを変えてみる
3.ペットボトルのキャップ、ペットノリのキャップ、カップラーメンのカップなどいろいろなもので作ってみる。
4.プラコップを使ってみる。
5.プリンケース、お豆腐のケースなど四角かったり丸くなくてもできるだろうか?
6.糸底を切らずに紙コップをそのまま貼っても回せるだろうか?
7.紙皿をはらずにプラコップやプリンケース、お豆腐ケースだけで回してみる。

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