通辞ジョアン・ロドリゲスという人物
以前コンスタンティノ・ドラードについて述べたときにジョアン・ロドリゲスについても少し紹介した。
清泉女子大学図書館に「通辞ロドリゲス−−南蛮の冒険者と大航海時代の日本・中国」(マイケル・クーパー著 松本たま訳 原書房 1991年)という本があったのでさっそく読んでみた。
こういう人物がいたんだという驚きと感激に満ちた本であった。
その本の「はしがき」からロドリゲスの紹介文を引用してみよう。
ジョアン・ロドリゲスは波瀾万丈の生涯を送った。
ポルトガル人宣教師として、彼は56年の歳月を日本とシナで過ごした。豊臣秀吉にも徳川家康にも起用されて、絹貿易に深く関与することになったために、当時の在日ヨーロッパ人のなかで、長崎はもとより全国に彼ほど影響を及ぼした者はいなかった。
しかも多忙をきわめながら、日本語の口語の文典を書き上げたばかりでなく、晩年になると、日本文化の詳細に渡って、現代の読者にも示唆する所の多い大作と取り組んだ。
日本を去ってからは、日本に帰ることを望んでいたが、シナの各地を旅行し、「典礼論争」にも関わり、マカオ氏の校務に携わり、最後には明の守備隊とともに、折りしも主とを攻めてきた満州族と拙戦を構えている。
またこの本の最後にはこう書いてある。
ポルトガルの僻地で生い立ち、ろくに教育もうけずに少年のころ日本へ来たロドリゲスは、豊臣秀吉、小西行長、徳川家康、前田玄以、本田正信のような高位高官の知遇を得た。16世紀の終わりから17世紀のはじめにかけて活躍した日本人の政治家たちには残らずあったのではないだろうか。
ロドリゲスこそ日本語の文典を最初に刊行した人であり、しかもただの言語学者ではなかった。日本語があれほど流暢な西洋人はちょっとめずらしかったのではないか。
ロドリゲスはフロイスのように緻密で的確な表現力も、ヴァリニヤーノのように身に付いた教養も、リッチのように柔軟な視野も欠けていた。しかし東洋の文化をあれほど広く、かつ深く把握した点で、ロドリゲスの右に出る者はいないであろう。
実務にたけていて、宣教の熱意に燃えており、しかも審美眼をそなえたからこそ、あれだけの成果を上げることができたのである。強情でやかましすぎる嫌いはあるが、しかし全体から見れば、ロドリゲスは人間味あふれるすぐれた人物といえるだろう。
前に村山等安、コンスタンティノ・ドラードについて述べたが、そこにこのジョアン・ロドリゲスという不思議な「通辞」が登場してくる。この人物はイエズス会や教会の重要な人物が来日すると、それに通訳として同行して、秀吉とか家康に会いに行く。権力者の奥深くに飛び込んでいくことがたくみなのである。
もうひとつの特徴に、彼は経済と財政をわかっていたことがある。イエズス会の会計として特に宣教の資金面をささえた。イエズス会の財政を支えるためにマカオやローマに手紙を書いて援助を願うこと、ポルトガルの商人と日本の長崎の奉行所との中に立ち、絹貿易の利益の一部を会の会計に組み込んだこと、そして権力者の中枢の人物と友人になることに長けていたということが挙げられよう。
このキリシタン時代に通訳をした人物には傑物が多い。
イルマン・ロレンソ了斎、養方軒パウロ、そしてコンスタンティノ・ドラード、背教者不干斎ファビアンなど、彼らが果たした役割についてまた考察をつづけていきたい。
それから中国の宣教師マテオ・リッチについても現在研究中である。これについてもまた報告したいと思う。
今年の5月にマカオに行くことを計画している。マカオに行って、原マルチノ、コンスタンティノ・ドラード、ジョアン・ロドリゲス、ヴァリニヤーノらに会えることを楽しみにしているところである。