高山右近は「霊操」をしていた
加賀乙彦著「高山右近」を読んだ。
右近が秀吉の禁教令で、大名として生きるかキリシタンとして生きるかを迫られたときに、後者の道を選んだ、そのあとのことが描かれている。おそらくこの場面は加賀乙彦氏によってしか描くことができないであろうと思われる、そんなストーリーである。
この本を読んでもっとも感銘を受けたところは、右近が「霊操」をしていたというところである。「霊操」をご存じない方のために、この本のその下りを引用してみよう。
ここ半年ほどは、先の短いいのちを自覚して、信仰文書を心して読むことにしてきた。今読みさしているのは「スピリツアル修行」である。この解説本をたよりにイグナチオの霊操を行うのが日課になった。
ゼス・キリストの一生の事績を心中に生き生きと思い浮かべ、ついにはありありと見えるまでに心を錬成していく。
もっとも右近が想像する主の姿は南蛮渡来の聖画にある南蛮人としての顔と衣服の人だ。
ガリラヤ湖畔にたって説教する姿、いよいよ受難に向かう十字架をかつぐ道行きの姿、十字架に血まみれになっている姿………が、十字架上のキリシトは突然三木パウロの顔に変わることがある。三木パウロこそはキリシトの化身と思えるのだ。
自分がそのようになれるかどうか。右近は、主の掌や足に打たれた釘の痛みに自分が耐えられるかどうかを必死で瞑想した。
ときには小刀で掌や足の甲に傷つけて痛みを実感した。あるときは足の甲に深く突き刺して出血がひどく人びとを騒がせた。ジュスタだけは夫の極端な行為になれきったようすで、黙ってさらし布をまいてくれたが。
長崎に護送された右近は、集められていた宣教師や中浦ジュリアン、原マルチノらと交わる。そしてそこでも「霊操」が続いている。
早朝イグナチオの霊操を行うのが右近の日課であった。備前の方から譲られた「スピリツアル修行」をテキストに、彼の聴罪師パードレ・モレホンの指導で、霊操を実践しているのだ。精進の甲斐あって秋口には心が自在に動いて、あの人の一生をまざまざと追体験できるようになってきた。
ナザレトの貧しい生まれの人が教えを広めて回った地方、ガリラヤ湖やエルサレムの都を、自分がそこを実見してきたように思い浮かべることも可能になった。とくにモレホンが力を入れたのは十字架上のあの人の苦しみを、あたかもおのれが十字架に釘づけされたときのように手や足の激痛を覚えながら瞑想する行であった。
ある早暁、手や足に焼け火箸を突き刺されたような激痛に目覚め、訝しく思ってみると、手や足の甲に赤黒い変色があり、痛みはそこの部分から放散していた。右近は立って両腕を広げてみた。するとおのれがゴルゴタの丘の十字架に附けられて、エルサレムの民衆や大祭司に罵られている情景が、まざまざと見えてきた。
無力で無一物で裸の男、極悪人として処刑されている
人、そのひとはおのれであった。
夜があけても痛みはとれず、右近はサンティアゴ病院へ行き、パードレ・クレメンテの診察を受けた。クレメンテは一目見て、これは「聖痕(stigimata)」と言って、真に信仰の厚いものに頼れる希有な症状です。右のわき腹にもあるはずだ」と言った。
はたして腹の側面に赤黒い傷があり、こちらは血がにじみ出していた。包帯を巻いてもらい、パードレ・モレホンに報告すると「これで霊操の結果が出ましたな。これはめでたい印です」と誉めてくれた。
右近は長崎にいる間にハンセン氏病の患者の所を訪問しているが、普通の人にはとてもできないことを右近は平気な顔をしてできるようになったのも「霊操」のおかげだとも書かれている。
ここに書かれているようなエクササイズは「霊操」の第3週目のプログラムだと英神父が述べていた。
英神父もこの本を読みたいと言っていたので、私は彼にこの本を貸した。
この本は教会のバザーで100円で手に入れた本だった。とてもお得な買い物であった。