「生きた、愛した フランシスコ・ザビエルの冒険」を読んだ

「生きた、愛した フランシスコ・ザビエルの冒険」(矢代静一著 角川春樹事務所刊 1996年)を大学の図書館から借りて読んだ。なかなか読み応えのある作品だった。

「Book」データベースには以下のような紹介が載っている。

 人間、ザビエルの波瀾万丈の生涯。バスク、ローマ、パリ、リスボン、ゴア、マラッカを経て鹿児島へ。16世紀の大航海時代にたった一人で西洋の「心」を東洋へ運んだ男の生涯を描く、渾身の書き下ろし。

 著者は、最初ザビエルを日本に連れてきたアンジェローという日本人が気になり、彼を主人公にして戯曲を書こうとしたという。このアンジェローはヤジローともアンジローともいわれ、鹿児島で人殺しをして逃亡のために日本を脱出した男である。しかし、アンジローを描こうとすると当然ザビエルも描かねばならない。最初は聖人は苦手だと思っていたが、書いているうちにザビエルの個性にひかれていき、ザビエルを訪ねる旅に出た。そしてすっかりザビエルの虜になって、書いた小説であるという。

 ザビエルはここでは、純朴でガンコでカタブツではあるが、俗っぽいところがほとんどない人物として描かれている。そしてその周辺にいる人物もそれぞれ個性が浮き彫りにされる。いずれもザビエルと出会わなかったら、どうということのない人生であったにちがいない。ちょうどイエスを囲む弟子たちみたいな存在がザビエルの周辺にいるような感じである。

 私がこの本で興味を持ったところは、やはりイグナチオ・ロヨラとの出会いとイエズス会の結成、そして「イグナチオの霊操」について書かれたところであった。
 「霊操」についてこの書ではなんとミケランジェロにかたっているのである。

「尊敬する友人、イグナチオ・ロヨラに導かれて。僕は『霊操』を行っています。3年前からです。」
「霊操とはなんのこった。耳馴れない言葉だ。」
「スピリチュアル・エクササイズ。霊的練習のことです。ま、祈りの手引き書と言ってもいいと思います。ロヨラは軍人であることをやめたのち、マンレサの村はずれの洞窟でなんと1年も祈りと苦行に徹し、ついに神秘的体験をし、霊操を編み出したのです。」
「具体的に頼む。」
………………………………
「まず、第1週。邪悪な欲望を取り除くため、これから生活の反省をします。第2週、清められた心で貧しいキリストに倣うことを誓います。次に王たるキリストに従う私たち兵士は、第一にこの世の富に対しての、清貧、第2に現世の空しい名誉に対しての軽蔑、第3に傲慢に対して謙遜を武器として団結し、「悪霊の国」と戦う決意をします。そして第3週、キリストが生涯、とくに受難に際して、清貧、軽蔑、謙遜の道をどのように歩み、十字架上で死去なさったのかを黙想します。最後の第4週では、キリストの復活を黙想し、永遠の国をめざして旅立つので、以上であります。」
 ミケランジェロは子どものように手を挙げた。
「よく飲み込めませんが、それで、先生はその1か月の修行のあと、キリストの兵士になれたのでしょうか?」
 ザビエルはつらそうな表情になって、首をゆるやかに横に振った。
「おやおあ、正直なお坊ちゃんだ」
 軽口こそたたいたが、さびしい表情でザビエルを見つめた。
「いずれにせよ、聖書を直い心で読んで、ルカ伝ならルカ伝の第1章を読み終えたら、いろいろと思い巡らすことだと思います。そして、書かれている背後に映る神の愛、寛大さなどを心の目で見る。いいえ、神に見せていただく、これが観想ではないでしょうか。僕はまだ迷える小羊ですから、霊操の神秘性についてはこれ以上のことは申し上げられません。」

 ザビエル(1506〜1552)はミケランジェロ(1475〜1564)と同時代人だから、ローマにいたときに交わりがあっても不思議ではない。この小説ではミケランジェロとザビエルとが不思議な縁で結びつく。
 娼婦マリーとの会話の部分もザビエルらしい。

「あたいは神様のことなんか教えてもらいたくないね。教えてもらいたいのは、あんたの心だ。いや、体だ。売ってくれるのかい、あんたのからだをあたいに!」
 必死になって返事を求めているのが、彼女の息遣いから分かった。沈黙。サビエルはやっと答えた。
「………あのね、僕の君に対する愛情はアガペなんです。」
「アガペ? 何語よ。スペイン語?」
「ギリシャ語です。献身的な藍というか、賛美というか、謙虚というか、無償というか、つまり自分で言うのはおかしいけれど、自分を低くして、君に対してすべてを奉仕しようとする純白の愛情です」
「むずかしくてよく分かんない」
「つまり、あくまで形而上的な愛情なのです」
「要するに抱いてくれないっていうわけね」
「………うん、まあ、そうだと思いますが、………分からない」
 それは23歳のうぶな若者の本心だった。
「あんた、あたいのこの気持ち、まるで分かろうとしない。自分のことしか考えていないんだ。こんな煮え切らない男って大嫌い、弱虫!」
 マリーは平手打ちをザビエルの頬に何遍もくれた。ザビエルは目をとじた。耐えた。痛みに対してではなく、おのれの優柔不断についてだ。
 マリーのすすり泣きが聞こえる。やがてそれも終わった。

 私は、その場面が入門講座や授業などでそのままプリントにできるようにと、できるだけ原文の味を損なわないように引用している。それで引用が若干長くなることがある。これも2度入力しなくてもすむようにするサービスのつもりである。

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