「自死の現実を見つめて」が教会においてあった
12月12日に教会に行ったら、「自死の現実を見つめて」(カリタスジャパン啓発部会)というパンフレットが置いてあったので、さっそく家に持ち帰り読んでみた。私はなかなかよく書けているパンフレットだと思った。
先ず冒頭にこういうことが書いてあった。
私たちは、すでにこの時点で「自殺」ではなく「自死」ということばを使いました。それは「自殺=自分を殺す」という言葉には、その言葉自体に当事者を責めるような響きがあるため、より中立的な言葉として「自死」のほうが良いという考えからでした。自死者は「自ら死を選んだ人」というよりも「自ら死を選ぶしかないところまで追い詰められた人」だということも次第に明らかになってきました。
そして「自殺は罪である」ということについてカトリック信者に聞いてみた意識調査の結果も正直に公表しながら、こうも述べています。
教会の伝統的な教えが想定していた自死の問題は、個人がキリスト教信仰を否定して、自由な決断で死を選ぶようなことであり、それを罪だとしてきたのですが、現実に起こっている自死とは、個人の倫理的決断では住まない社会的問題であり、個人の責任を問えないような心の病いの問題でもあることが認められるようになってきました。また、自死した人にも永遠の救いへの希望があり、自死した人のために祈ることを教会は宣言しています。
さらにこの箇所の「注」のところで、「カトリック教会の宣言」について詳しく述べています。
「カトリック教会のカテキズム」(1992年)は、自殺は悪であるとしながらも次のように述べています。
「激しい精神的混乱や、試練や苦しみ、あるいは拷問などについての極度の恐れなどは自殺の責めを軽減することがありえます。
自殺した人びとの永遠の救いについて絶望してはなりません。神はご自分だけが知っておられる方法によって。救いに必要な悔い改めの機会を与えることがおできになるからです。教会は自殺した人のためにも祈ります。」(2282後半〜2283)1917年に定められた旧教会法には自死した人の葬儀や教会墓地への埋葬を禁じる規定がありましたが、新教会法(1983年)では司牧的な対応が重んじられ、これらの規定は削除されました。
「教会のカテキズム」の書き方では、決して充分だとは思えませんが、でも以前の「自殺は大罪」とする考え方が少しあらためられたことには希望が見られます。
それにしても「いのちのまなざし」に見る日本の司教団の考え方は、これよりもずっと前向きのものだとあらためて考えさせられます。
さらにこのパンフレットを出した「カリタスジャパン啓発部会」にあらためて敬意を表します。
そして、教会内部むけでない「自死を考えざるをえないところまで追い詰められた人びと』を対象にしたパンフレットを日本社会全体に向けたメッセージとして刊行されることを望みます。ここにこそカトリック教会の真価が問われるだろうと思います。