試験の時に何を祈るか? 宗教科教育法3-2

「宗教科教育法」第3回目授業の「祈りをどう教えるか?」の続きです。「試験の前に何を祈るか?」という問いかけを生徒たちにしてみました。この問いかけは祈りとは何かを知る上にとても良い問いかけだと思っております。
 ちなみに「試験の前の祈り」というので検索したらここここにありました。これも一つの参考になると思います。
 このことについて、私は「心のともしび」で書いたことがありますので、それを転載します。本来ならば「心のともしび」のホームページにリンクを張るべきなのですが、残念ながら最近のリニューワルに伴い読めなくなってしまったので、ここに全文を掲載させていただきます。

「心のともしび」原稿「祈りの時」
テストの前の祈り
土屋 至  

 私が勤めていた学校では朝礼の時間に祈りと歌が全校放送される。決められたお祈りを唱えたあと。歌をはじめる前に1分くらいの短い沈黙の時間があり、それぞれが自分の祈りをすることになっている。
 あるとき、生徒に
「試験の日の朝礼の祈りの時に、どんなことをお祈りしている?」
と、聞いてみた。
「そんなの『いい点を取れますように』っていのるに決まっています。」
このこたえをかわきりにいろいろな答えが続いた。
「わたしは昨日勉強したところがでますようにってお祈りします。」
「私はこう祈ります。自分のしてきた勉強の成果があらわれて努力が報われますようにと」
「わたしはあまり勉強しないので、いつも試験の前には努力した以上の結果が出ますようにと祈っています。これってムシがよすぎるでしょうか?」
 生徒の質問の矛先が私の方に向けられてきたが、それには直接答えず、生徒に聞き返す。
「さあ、どうかな? みんなはどう思うかな?」
「神さまが喜ばれるお祈りというのがあると思います。あんまり自分勝手なムシのいい願いは神さまのご機嫌を損ねちゃいます。」
「神さまは寛大な方だから、たとえムシのよい願いだとしてもきっと聞いてくださいます。イエスさまもわたしの名のもとに祈ることはきっとかなえてくださるっていわれていま〜す」
「聞いてくださることは確かだけれど、その願いどおりになるわけではないですよね。たとえ試験で悪い点だったとしても、その人のことを考えてその人のためになるようにとりはからってくださっているはずです。よく『みこころが行われますように』というお祈りするけれど、それってこういう意味ですよね。先生」
 この生徒は私の言いたかったことをみんな言ってしまった。だから優等生は嫌いなんだ。

これを読んで何を考えますか?

このブログのトップへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA