聖アウグスティヌスの愛の祈り または「泣かないで」の祈り

死はとるにたらない。私は別の側に移っただけ。
私は私だし、あなたはあなたのまま。
私たちは、私たちがお互いにとってそうだったものであり続けます。
私を、あなたがこれまで呼んでいた名で呼んで。
私にこれまでのように話しかけて。
いつもと違った調子で話しかけないで。
私たちを笑わせたことを笑い続けて。
祈って、ほほえんで、私のことを考え続けて、私といっしょに祈って。
私の名前がうちのなかで、重々しい調子や暗い調子でなくて、
前と変わらず呼ばれますように。
人生は、これまでと同じ意味を持ち続けます。
これまでどおりです。糸は切れていません。
どうして私があなたの思いの外へ出てしまうことがあるでしょうか。
どうして私があなたの目の見えないところにいるというだけのことで。
私は遠くにいるわけではありません。
道の反対側にいるだけです。
ほら、すべてうまくいっているでしょう。
あなたは私の心をまた見つけるでしょう。
その中で純化した優しさといっしょに。
涙を拭いて。もし私を愛しているなら、泣かないで。
  出典「ヨーロッパ死者の書」(竹下節子著 ちくま新書 12P)

私の母の死を知らなかったと言って、友人から贈っていただいた『祈り』である。
この祈りはフランスでも葬儀の時に読まれるそうです。
英語訳も紹介してくれました。

? Death is nothing at all, I have only slipped away into the next room.
I am I, and you are you.
Whatever we were to each other, that we still are.
Call me by my old familiar name, speak to me in the easy way which you always used, put no difference in your tone, wear no forced air of solemnity or sorrow.
Laugh as we always laughed at the little jokes we shared together.
Let my name ever be the household word that it always was.
Let it be spoken without effect, without the trace of a shadow on it.
Life means all that it ever meant.
It is the same as it ever was.
There is unbroken continuity.
Why should I be out of mind because I am out of sight?
I am waiting for you, for an interval, somewhere very near, just around the corner.
All is well. ?

竹下節子さんはブログでこんなことも書かれています。
死は「新たな出会いである」というメッセージを含んでいるところにとてもとても共感しました。

その『ヨーロッパの死者の書』を書いてから現在までの間に私は両親を次々と亡くしましたが、両親が別の形ですぐそばにいてくれることは実感しました。生前、日本とフランスにわかれていた頃よりもずっと近くの感じです。
私には死者が勝手に千の風になって吹き渡るとは思えませんが、互いに思いを残した者同士が想起し合うとき、生きていた時のさまざまな障害(距離とか病気とか老いとか・・)を越えてより親密な深い場所で何かが起こるような気がします。両親との「別れ」はその意味で「新しい出会い」でもありました。その「出会い」からずいぶん力をもらえたようにも思います。

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