実験社会科学というプロジェクトの「実験」を「倫理」の授業でやってみたい
朝日新聞の2月5日「ザ・コラム」に根本清樹編集委員がこんなことをかいている。「政権交代次代の作法 いじわる合戦の果てに」という見出しの記事である。
次の二つの選択肢のうち、読者のみなさんはどちらを選ぶだろうか。
A あなたの年収は5万ドル、ほかの人の年収は2万5千ドル
B あなたの年収は10万ドル、ほかの人の年収は20万ドル
自分の実入りだけ考えるならBの方がいいに決まっている。ところが米国の某大学で院生や教師に聞くと、6割弱がAを選んだという。日本の某大学では7割超がAだったという調査結果もある。
ほかの人が自分より高給取りなのは癪にさわる。我慢ならない。自分のほうが上であればこころ穏やかでいられる。そのためなら多少損してもかまわない。そう考える人がかなりの割合でいるらしい。
この話は大阪大学社会経済研究所の西條辰義教授に教わった。
「実験社会科学」という大きなプロジェクトを率いている。市場や政治、社会の仕組みを、文理を越えた学際的な手法で解明する。他人の足を引っ張る「いじわる」行為の研究もその一環である。
なるほど、他人との比較というのが行動決定の際の重要なポイントになるというわけである。
こういうことを研究しようとしている「実験社会科学」なるプロジェクトに興味を持った。
続いてこういう実験も紹介されている。
たとえば、二人でお金を出しあい、道路や橋といった公共財をつくるゲームで実験してみる。
2人が手持ちのお金を出せば出すほど、それぞれが受ける恩恵も大きくなるように仕組んである。ところが実験結果を見ると出さない人がけっこういるという。
相手だけに出させて道路や橋をつくり、その恩恵にちゃっかり自分も浴する「ただ乗り」行動である。
自分が出さない分、出来上がる道路や橋は貧弱になり.浴する恩恵も目減りする。それでも相手を「出し抜く」ことの方を選ぶのである。
西條教授はこうした傾向は米国や中国などの人よりも、日本人の方が強い。他国に比べ、日本にはいじわるな人が多い疑いがあるという。
ただ、いじわる行動にも、回りまわって、取り柄らしきものがあるらしい。
より複雑な別の実験によれば、ただ乗りをもくろむ人に対し、今度はその相手が応戦し、いじわるを仕掛けることがわかった。ずるは許せないとばかり、自分の損も顧みず足を引っ張るのである。
ゲームをくり返すうち、ただ乗り犯も悟ることがある。こんなことなら相手を出し抜こうとするのはやめて協力しよう。というか、協力しないとあとが怖い………。
この場合、いじわるは社会規範に反するただ乗りの処罰として機能していることになる。
1回限りのゲームではなく、繰り返すなかから、当事者が学習するところに、この実験の肝がある。
こうした学びのプロセスをへたあとだと、日本人は米国人より協力的になると実験結果は教える。
「いじわるは協力の源泉になる」西條教授が導き出した洞察である。
この記事はこのあと、日本の政治に目を転じている。「昨今の永田町で繰り広げられているのは、まさにいじわる合戦というほかない。自民党政権時代に生じた衆参のねじれから、政権交替をはさんで今日に至るまで、延々と」とのべている。
これが「いじわるが協力の源泉となる」と展開していけばいいのだが、なかなかそうなりそうもないことを憂いている。
私は高3の「倫理」の授業で「赤黒ゲーム」というのをやってきたが、あれはまさに「実験社会科学」だったんだと思い当たった。
「実験社会科学」で調べてみたら、たくさんの「実験社会科学」の事例が紹介されていて、おもしろそうである。この中に「倫理」の授業でもできそうな「実験」がかなりありそうな予感がする。