安土往還記にみる信長とキリシタン宣教師たち

aduchioukanki辻邦生の「安土往還記」という短編小説がある。
この文庫本の裏表紙には次のような紹介があった。

争乱渦巻く戦国時代、宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさ中にあって、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長一代の栄華を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追究した長編。文部省芸術選奨新人賞を受けた力作である。

この小説に信長がなぜキリシタン宣教師たちに好意を寄せていたのかという心情がみごとに描かれているところがあった。

大殿(シニョーレ)はこうした現実の問題を処理する立場の人間として、tらえず「事が成る」ための力を必要としていた。事を成就せしめぬような知識はがらくたに過ぎなかった。彼は目を光らせ、渇いた人のように、事を成就させる知識を求めたが、同時にそうした知識を造り出す態度の厳しさに関心を持ったのだ。
「キリシタンの僧たちが大海に乗り出すように、その同じ勇気をもって、仕事に当たれ」
大殿は近習たちと雑談の折、そんな言葉を漏らしたと伝えられている。確かにオルガンチノをつかまえて、大殿は「あなたはなぜこのような遠くの国まで、危険な大海を渡って航海してくるのか、それが知りたい」とよく言っていた。彼は布教のためであれ、その他の目的であれ、生死のぎりぎりの地点にたち「事が成る」というただそのことに力を集中して生きるその厳しさ、緊張、生命の燃焼に強い共感を持っていたのだ。
大殿は「事が成る」ために目的のすべてを−自分の思惑、感情、惰性、習慣、威信、自尊心までを犠牲にした。そしてそうした態度をあえて他の武将、将軍、大名にも要求した。このことに関しては大殿は徹底的な献身を要求した。「事が成る」ために誰もが自分を殺し、自分を乗り越え、「理にかなう」方法を遂行しなければならなかった。

なるほど。信長は「事が成る」ための不屈な精神とおなじものを宣教師たちの中に認めていたわけである。秀吉はそれを怖れていたのだが………。

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