友人の叙階式
3月7日に東京カテドラルで3人の司祭叙階式があった。叙階とはカトリック教会の7つの秘跡(サクラメント)の一つで、司祭になるときの儀式である。これも洗礼と同じように生涯1回しか受けられないし、一度受けるとそのしるしは生涯消すことができないものとなる。
私の友人で隣の女子校でソフトボール部の監督をしていた彼はよもや司祭になるだろうとは思わなかった。彼の育てたソフトボール部は、私の学校のソフトボール部よりも強くて、いつも負けて悔しい思いばかりしていた。3人の新司祭の中では、一番年を取っていた。
カテドラルにこれほど人が入ったということはないのではないかと思うくらいに、参列者が多かった。そして新司祭が与える特別な祝福も彼の所から受けたいという人がとても多かった。
彼は挨拶の中で、今の心境を八木重吉の詩に託していた。
「光る人」 八木重吉
私をもぐらせてしまい
そこのところに光る人を
立たせたい「ひびいてゆこう」
おおぞらを
びんびんと ひびいてゆこう
参列者に配っていたカードがこれである。裏の文字は実は彼の肉筆なのであろう。一緒に参列した女性はこの字がとてもいいといっていた。確かにこの字は味があるとてもいい字である。写真の焦点が合っていないところがきわめて残念であるが。