ワシントンのメトロで弾いたマエストロ

「カトリック生活」2月号の竹下節子著「カトリック・サプリ」に紹介されていました。
私はこの竹下さんの文章がとても好きです。

2007年の1月にワシントン・ポスト紙が企画したちょっとした実験。
金曜日朝の7辞51分、メトロの駅の構内で野球帽をかぶり、長袖のTシャツを着た男が、キオスクの近くでバイオリン・ケースから楽器を取りだして弾きはじめた。ケースには小銭が入れてある。物乞いのミュージッシャンのようだ。
通勤のために足早に通りかかるひとは彼に目を止めないし、音色も聞こえていない。45分間で1000人以上の人が通過した。全部で7人が少しの間だけ男を遠巻きにして耳を傾けた。たったひとりだけがかれの演奏を聴いたことがある、すばらしかったと話した。
男は名演奏家のジョシュア・ベル、2日前にボストンのシンフォニーホールを満席にしたばかりで、楽器は1710年のストラディバリウスだった。駅で弾いたのはバッハのジャコンヌやシューベルトのアヴェ・マリアだ。

竹下さんは続けてこう述べている。

通り過ぎた1000人以上の人の中には、音楽好きの人もいたはずだ。かれらの耳に少しでも音楽が届いていたら、、決して無反応ではいられなかったろう。残念ながら、かれらの耳には何も聞こえていなかったのだ。いや、誰の耳にも聞こえていなかった。高い料金を払って何ヶ月も前から予約して、おしゃれをしてワクワクしながら会場に行き、舞台でライトを当てられたマエストロの弓が振り上げられるのを見れば、誰でもおおいに感激しただろうに。

この「カトリック・サプリ」のテーマは「私たちは何を傾聴するのか」であった。
彼女はその分の最後を「『傾聴』とは、祈りの一つの形にほかならない」と結んでいる。
神さまの呼びかけも一生懸命に聞こうとしないとその美しさは分からないというのであろう。
この話は「いのり」と「聴く」というテーマの入門講座や授業で使えそうである。

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