「アルペ神父とともに祈る」から「お話しください、主よ」
いま鎌倉十二所のイエズス会修道院黙想の家にいます。そこで宿直の当番をしています。
そこの売店に「アルぺ神父とともに祈る」という本がありました。アルぺ神父の祈り集です。
ナカナカ素敵な本です。こんな祈りが目に留まりました。
18.お話しください、主よ。
私は信じます、主よ!
あなたが私という存在の最も奥ふかいところにおられるのを信じます。
お話しください、主よ。そのお言葉をあなたのしもべが聴いております。
あなたのしもべが聴いておりますので、どうかお話しください、主よ。お話しください。
創造力のある御言葉を、
そのお言葉通りになる御言葉を、
この世を想像した御言葉を、
肉となりこの世を救った御言葉をお話しください。
私の魂の底にある同じ御言葉はあまりにも静かなのです。
何故かというと、私はそれを聞く価値がないからです。
しかし、御言葉の方が私に語りたがっているのです。
主よ、あなたによってすべてのものが創造されました。
私はあなたのことに耳を傾けたいのです。
世の始まりから存在した御言葉を聴きたいのです。御言葉をおっしゃってください。
あなたを感じさせてください。あなたのしもべは聴いております。
あなたを聴きたいのです。どうかお話しください。御言葉は聖霊に満ちています。
その聖霊は人に愛を吹き込みます。
愛は人の心の中に移っていきます。
なぜならば、愛は無限だからです。
私の心のように石のような硬く冷たい心から、
血の通った肉の心に変えてくださることを知っています。
それはイグナチオやザビエル、そしてテレサのこころのように、燃える心なのです。
今日の世界はこのような心を必要としています。
愛を求めているのです。主よ、お話しください。
力に満ちた御言葉を。
それは私の内面を作り、
また、私の唇や良心にやってきて、私の存在のすべてを変質させ続けるものです。
それは間違いなく唸り声なのですが、同時に静寂にもなる御言葉です。
情熱的な激しいノイズを持つ者にとっても、内面世界が不調和な私のようなものにとっても聞こえるはずがないのですが、
それは非常に力強いものであり、その意味するものを形作り、私の内面に語ってくるのです。
ひとたび心と口を出た御言葉は、
魂たちを変質させ、人間の心に灯をともし、
「予想していたよりもはるかに多くの」作業を遂行させます。
また、力もなくだれからも助けを受けられないがゆえに
自分自身で動けない者たちに、新たな力を吹き込むのです。
御言葉は重い皮膚病のものの体を、生まれたばかりの赤ん坊のような新鮮な肉体に変えますし、
盲人が決して失うことのない光によって「見えます」と言ったことも、適切に説明するのです。
それはあなたの御言葉、あなたによって命を与えられた御言葉が耳には作用せず、心の内側に作用するからです。
そしてあなたご自身が、御言葉を聴こうとする者の中におられのです。
あなたは御言葉をどのように聞いたらよいのかを迷っているものや、あるいは聞くことを望まない者に対して、話そうとされるお方なのです。
私は創造的な効果を出すには年を取ってきましたが、私の奏でる声や耳にある鼓膜は、よく聞き取れなかったあなたの御言葉を、はっきり聴き取り伝える道具とされるのです。
主よ、私たちにお話しください。なぜならば、私たちはあなたの御言葉を聴くことを必要としているからです。
私たちにお話しください。あなたのしもべが耳を傾けています。
ペトロアルペ神父は前の前のイエズス会総長でした。終戦を広島で迎えられ、被爆した人たちを長束の修道院で手厚く看護されたという話も聞いております。
私はローマで1979年にペトロアルペ神父とお会いしたことがあります。CLCの世界大会の時でした。
日本語で語りかけてくれました。とても優しい方でした。
いま広島教区ではペトロアルペ神父の列福運動が始まっているそうです。
この本にはまだ素敵な祈りがのっています。
また紹介しましょう。