アイディア・カフェというのはいかが?
20年ほど前ですが、上智大学の神学講座でA神父さんの旧約聖書の授業の冒頭、こんなことを提案されました。
「聖書をお酒を飲みながら読むという会をしたいんだが、誰か参加しないかな? ただし女性はお断り」
この提案にはちょっと、ビックリしました。
だって聖書をお酒を飲みながら読むなんて不謹慎だって非難されると思っていたからです。
それに、なぜ「女性はいけないのか」という疑問への答えもありませんでした。こんなことを今言うと「女性差別」だ「セクハラ」だといわれてしまいそうです。
それで、私もすぐに応じたらよかったんですが、1か月くらい経ってから神父さんに「あの話どうなりましたか」ときいたら、「え、そんな話ししたっけ」ですって。これにはまたまたビックリ。
ところで、アメリカでは「聖書カフェ」「宗教カフェ」「瞑想カフェ」なんていうカフェもあるということです。日本でも仏教のお坊さんたちが「カフェ・デ・モンク」とかいう「仏教カフェ」を開いているとか。
もっともアルコール入りの聖書なら「聖書カフェバー」ということになるのかも知れません。
こういうのはどのくらいニーズがあるのだろうか?ちょっと気になっています。常設とまで行かなくても、毎週何曜日は「聖書カフェ」というようなやり方ならけっこういけるかもしれません。
いや、日替わりでその日のテーマが変わるカフェというのがいいのかもしれません。月曜には「サイエンスカフェ」火曜日は「数学カフェ」水曜日は「哲学カフェ」木曜日は「社会学カフェ」みたいなローテーションをつくってやったらおもしろいと思います。
その中の一つとして、アイディア・カフェというのは如何でしょうか?
何かテーマを決めて、参加者がみなでアイディアを出しあうというカフェです。毎回ブレーンストーミングみたいなことをして、具体的な解決法を選んだりするときにこういうのがあると便利だと思うのです。コーヒー一杯のお値段で、みなからアイディアを貰える、あるいはアイディアを与えることができますよね。」 アイディアというよりも「インスピレーション」といった方がいいのかもしれません。
私はこういうのちょっぴり得意です。なんかおもしろいアイディアを出せそうな気がします。
あるいは「英語カフェ」みたいなものもいいでしょう。そこへ行くと英語しか話せない。日本人もアメリカ人もいて、みんなてんでに英語を話している。こういうのはもうすでにどこかでやっていると思うけれどね。
ただし、英語のできる人ばかりがくると、少し苦手な人は来なくなってしまうので、苦手な人やできないひとが来やすくなる「仕掛け」が必要だと思います。英語の下手な人の方がコーヒー代が安くなるとか、ゲーム仕立ての「仕掛け」が必要でしょう。さて「ゲーミフィケーション」の出番です。