いよさんの朝「起きて起こして」
私の母のいよさんは91歳。記憶障害があって3分前のことはきれいに忘れてしまうけれど、とてもかわいい自慢の母である。
私は今この母と一緒に寝ている。いよさんはベッドで私はその下に布団を敷いて寝ている。
朝7時になると、わたしはいよさんに「ねえ、いよさん、7時だよ。起きて起こして」と頼む。私はいよさんに手を引っ張ってもらって起こしてもらうことにしているのだ。
こうたのむと、いよさんは「あいよ」っていって起き上がり、ベッドを降りてよろよろしながら私の両手をつかんで引っ張って起こしてくれる。
「よろけてたおれそう」なんていいながらも「よいしょ」といって私を起こす。
わたしはおこされながらも実はしっかりといよさんを倒れないように支えている。
なぜか、ちっともいやがらなくて、むしろうれしそうに起こしてくれる。
91歳の母が64歳の息子を朝、手を引っ張っておこす家などどこにもないだろうなとおもうけれど、いよさんは完全に私の子どもの頃こうやって私を起こしたあの時に戻っているのだろう。
私もこのときだけは母に最高に甘ったれていることになる。マザコンなどと言わば言え。
わたしはなぜかこのときにレンブラントの絵を思い出すのだ。イエスがペトロの姑を起こしているマルコ福音書の場面を描いた絵である。
老いた母が息子の私を起こしているというのは、この場面とはまるっきり異なっているのだが、でもこの構図はこのレンブラントの絵にそっくりである。