あしながおじさんになれなかったけれど………
私たち夫婦には子どもが授からなかったからこんなことを考え出すのかもしれない。
「あしながおじさん」になりたかった。友人夫妻にとてもかわいい女の子がいて、その子にあてて定期的に手紙を書く。発信人は誰かを明かさないで「あしながおじさん」とだけ書いておく。その子が結婚式のときにそれを明らかにする。
友人夫妻にその話をしたら、下心が見えているとか魂胆が見え透いているとかいわれて許可されなかったので、結局は実現しなかったが、このアイディアは悪くないと今でも思っている。
もし、自分の命はあと1年とかいわれたら、その1年を自分はどう過ごすか。
たぶんもっとも愛する人にむけての手紙を書き続けるのではないかと思う。自分が死んだら、手紙の届け先の人の誕生日か、自分の命日に毎年届くようにだれかにひそかに頼んでおく。これは「天国からの手紙」というわけである。毎年でなくても1年に2通でも3通でもあるいはもっと多くてもいいかもしれない。それこそ毎日届いたら死んだという気がせずに、ずっと生き続けている感じがするであろう。
やはり自分の子どもたちや孫たちにあてて書くのが一番劇的だと思うが、これだったら、下心も魂胆も何もないことは明白なので、友人の娘でもいいかもしれない。
少なくてもその手紙を届けられた人の心の中にはずーっと生き続けることになるのだから。