「福音的おめでたさ」こそわが最良のたまもの(カリスマ)

わたしはよくひとから「あなたっておめでたいひとね」といわれる。ふつうだったらすこしばかにするような意味合いがないわけではないのだが、わたしはなぜかこういわれるとわるい気はしない。むしろ最上の褒め言葉にきこえてしまうところがまさにおめでたい所以であろう。

そこでおめでたい人というのはどういう人なのだろうか。ネットでしらべてみた。
「物事を楽観的に考えている人のこと
いい意味の時は、普通ならすごく傷ついたり落ち込みそうな出来事に遭遇しても、感じないで、自分にいいように解釈してしまう無邪気さやある意味でのパワー。
良くない意味では、そのような出来事に遭遇しても気づかないばかりか、その明るさが逆に、周りを引かせてしまうような、そんな感じ。」
「おめでたいひとの思考は現実化する」(和田秀樹著)には「行動さえすれば手に入るものは多いはずなのに、チャンスを逃してしまうことが問題で、これでは国力も落ちて当然だ。そんな状況を打破できるのは、『考えても仕方ないことは考えない』『まず行動してみる』おめでたい思考パターンを持つ人たち。」

<おめでたい人の特徴>
・周囲の批判は気にしない
・褒められると真剣に喜ぶ
・考えるよりまず行動する
・世の中が決めた「正解」なんて信じない
・うまくいかなければすぐ次にいく身軽さがある

この「おめでたき人」とにた意味のことばに「能天気」とか「極楽とんぼ」とかいうことばがある。これもしらべてみた。
能天気なひと=深く考えこまず気楽な態度を取っているさま、などを意味する表現。
 能天気とは、頭の中が快晴であるという意味だが、空が澄み渡るように頭脳明晰であるということを言いたいのではなく、空に雲一つないようになにも考えていない様子を言い表している。普通の人間なら将来に不安を抱いたり、現状を思い悩んだりして、雲のふたつやみっつ空に浮かび、太陽もかげりを見せているだろうに、そうはなっていないことから、要するに頭の中が澄み渡るようにハッピーな状態を能天気と言うのであって、そんなお気楽な人を、どんよりと曇った頭を持ち日々愚痴と不満たらたらで過ごしている人が「このバカが」と思いつつも、うらやんで言う言葉である。
極楽とんぼ=「とんぼ」は昆虫のトンボのことで、のんきに生活している者を極楽を飛ぶトンボのようなものと喩えた言葉である。

わたしのこの「能天気さ」「極楽とんぼ」「おめでたさ」をわたしは『福音的おめでたさ』とよんでいて、神さまからわたしにたまわったかけがえのない最良のたまもの(カリスマ」だと思っている。

いま、パウロ学園高校で「宗教」を教えていてつくづくそう思うのである。

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