「祈り」の木
いろいろな「祈り」を「系統樹」風に描いてみました。
ちょっと解説が必要な言葉があるかな。
「定型の祈り」つまり決められた言葉を唱える祈り
「念仏」称名念仏とも言います。ひたすら「南無阿弥陀仏」という仏のみ名を唱える祈り。浄土宗系の祈りです。
「唱題」日蓮宗系で「南無妙法蓮華経」という法華経というありがたい教えの題目を唱える祈り。
「念仏」や「唱題」のように仏教の祈りを一言に圧縮してしまうのは「縮み志向の日本人」の得意技ですね。
「南無」というのはサンスクリット語の「ナーム」という言葉から来ていて、「帰依する」という意味です。
「祈祷書」50年ほど前まではカトリック教会では「公教祈祷書」という「祈り本」に記載された祈りを多く唱えていました。自分の言葉で祈るようになったのはカトリック教会ではごく最近になってのことです。
「対話としての祈り」最近のカトリックの教えでは祈りとは「神との対話」というふうに捉えるようになってきました。神だけでなくイエスとの対話でもマリアとの対話でもあるいは聖人との対話でも、あるいは天国にいるなくなった祖父母や愛する妻との対話も祈りだと思うようになりました。
「黙想」カトリック教会の伝統として「黙想会」というのがよく行われます。「黙想」とは聖書の場面を想像したり、与えられたテーマについてあれこれと思い巡らしたりしながら「神との対話」をすることです。
「祈りとしての労働」は特にトラピスト会とかベネディクト会、カルメル会などの観想修道会のモットー「祈り働け」からきています。