「一味同心」ということば

「小説蒲生氏郷」(童門冬二著)を読んでいたらこんな表現に出くわした。

「一味同心」というのはもともとは、農村で農民が行っていた行事だ。農作の合間に、畦道に輪を組んで、互いに茶碗をまわしながら茶を飲んだ。初めのうちは農作物の出来具合やあるいは農耕技法についての知恵の出し合いや、あるいは地域全体に起こっている問題を解決するための協議であった。ところがこの一味同心が、大名たちからの収奪が激しくなると、一揆の相談に変わった。つまり、平和な農事の相談から、物騒な反乱の相談に変わったのだ。”一味同心”の性格がガラリと変わってしまったのである。しかし、変えたのは農民自身ではない。大名たちであった。農民たちはスキやクワのかわりに刀や槍をもって立ち上がる相談をこの茶飲み話ではじめた。

農村でこのようにはじまった「一味同心」は商人の間でもはやり出す。それが「茶会」であったのである。千利休はそういう場を大名と堺の商人の間につくりだした。

「一味同心」という言葉をネットで探しても、

同じ目的をもって集まり、心を一つにすること。また、その仲間。▽「一味」はほかの味を交えない一つの味の意から、平等・同一の意。また、志を同じくするという意から、仲間・同志をいう。「同心」は志を同じくすること。また、その人々。

という意味はあっても、それ以上の歴史的背景は納められていない。でも言葉ってここがおもしろいのだと思う。

ところで「一味同心」をネットで検索すると「一味同心塾」というホームページが引っかかってきた。なんとこの「塾」は島根県奥出雲町にある「食と農の交流館」であるという。この町は妻の実家のあるところである。また里帰りする楽しみが増えた。

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