森岡正博著「33個目の石」にみる哲学と倫理と宗教

「33個目の石 傷ついた現代のための哲学」(森岡正博著 春秋社)を図書館で借りて読んだ。面白かった。著者の誠実な思索にとても好感を持った。

それはたしかに短い期間の出来事であったけれども、その事実を知った多くの人のこころをうち、社会の片隅で大きな声を上げることのできない傷ついた人々をそっと力づけた。敵と見方の対立を無効化し、「やられたらやり返す」という報復の連鎖を超越していく物語であるとも言える。

この本の紹介にはこうあった。
この本のタイトルは次のような出来事に由来している。

2007年4月16日に米国のバージニア州工科大学で、学生による銃の乱射事件が起き、33人の学生。教職員が殺された。乱射した学生は自殺した。
バージニア工科大学事件の次の週に、被害者の追悼集会がキャンバス内で行なわれた。キャンバスには、死亡した学生の数と同じ33個の石がおかれ、花が添えられていた。実は犯人によって殺されたのは32人である。「33個目の石」とは事件直後に自殺した犯人のために置かれたのである。
殺害した犯人も、その家族も、この狂乱した現代社会の被害者であるという考え方に、わたしは大きな救いを感じる。
日本で同じような事件が起きた時に、われわれは「33個目の石」を果たして置くことができるだろうか。この小さな希望の石を、我々の社会は許容するであろうか。

これに関連して、思い出すのはやはりアメリカの学校での銃乱射事件で子どもたちが殺されたときに、子どもを殺されたアーミッシュの家族はその銃撃犯をゆるすと述べたことを思い出す。この本ではこれにも言及している。
また、日本の例も紹介されている。JR福知山線の列車事故の合同慰霊祭に事故で死亡したJRの電車の運転手は排除されているという日本人の狭量さを嘆いているのである。

このような「思考の誠実さ」をもって、著者は次のようなテーマを扱っている。

赦すということ
自殺について
子どものいのち
ナショナリズム
監視カメラ
中絶
おしゃれと化粧
加害と被害
哲学
認知症のわたしに生きる価値があるのか

いずれも現代的であり、かつ問題を含む実例を挙げ、これをどう考えたらいいのかを丁寧に率直に教えてくれる。
その彼が、最後の方で「哲学」について、こう述べている。

今日における哲学の意義とは、唯一の真理を押し付けてくる宗教からは徹底的に距離を取りつつも「唯一の真理なんてないのさ」という成熟社会の相対主義に何度も疑問を投げかけ、どうすれば唯一の真理に近づけるのかというプロセスを素手で模索するところにのみあるのだと、私は考えている。

う〜ん。私も同感である。

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