伝道師バスチアンの典礼暦と予言

外海地区の巡礼で「バスチアン屋敷跡」を訪れた。雷が鳴って雨が降ってきそうだったので、ゆっくり見学するまもなくあわてて引き返してきた。
そこにおいてあった印刷物をもとに、伝道師バスチアンの生涯を紹介しよう。
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禁教令により外海地方の神父がすべて追放されたあとに、日本人で洗礼名がバスチアンという伝道者が、この地方のキリシタンたちを指導した。バスチアンは追っ手を逃れるために隠れ家を転々とした。ここはその隠れ家の一つである。

1610年ジョワン神父がこの地方で布教を開始。バスチアンはこのジョワン神父から、1634年ころ教えを受け、とくに典礼暦の見方を教わった。キリシタンの守るべき祝日(特にイースター)がいつなのかを記したこの暦は潜伏したキリシタンたちに言い伝えられた。
1657年大村で「郡崩れ」といわれる迫害がおこった。600人余のキリシタンたちが捕らわれ殺された。行きながらむしろに包まれて大村湾に投げ込まれたが、その供養をしたのがバスチアンであった。
しかしバスチアン自身もついに密告によって捕らわれ、長崎の監獄に3年3か月、囚人として78回の拷問をうけたが屈せず、最期は首を切られて天に召される。
バスチアンは死ぬ前に4つのことを言い渡した。これが「バスチアンの予言」と呼ばれるもので、潜伏したキリシタンたちの希望となった言い伝えである。
1.汝らは7代までは、わが子と見なすがそれ以後は救霊が難しくなる。
2.コンエソーロ(聴罪司祭)が大きな黒船に乗ってくる。毎週でもコンヒサン(ゆるしの秘蹟)が申される。
3.どこでもキリシタンの教えを広めることができる。
4.途中で異教徒に出会っても、こちらから道を譲らぬ前に先から避けるであろう。

この予言どおりに約200年後に黒船に乗って宣教師たちがアメリカからやってくることになるのである。

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