「縮み」志向の日本人 李御寧 著 その1

 私の担当する日本語教室の受講者である韓国のキムさんから、「『縮み』志向の日本人」の書評を依頼された。なんでも釜山の日本人旅行者むけの日本語の雑誌に掲載するらしい。
 私は前にこの本を読んでいたし、「倫理」の授業でこの書の紹介をしたりしてこの書の面白さを知っていたので、快く引き受けた。
 それでできた書評が次のようである。

 この書は韓国の初代文化相を勤めた文化人類学者による日本人論である。欧米人や日本人の書いた「日本人論」のなかで、「これが日本文化の特色だ」とされるものの多くは韓国にもあることの指摘からこの書ははじまる。たとえば、日本人の特色とされている「甘えの構造」は韓国にはもっと濃厚な形で存在することを指摘し、韓国の文化に対する関心の低さを批判している。もっとも近くて似たもの同士であるからこそ、実は日本人の特色がよく見えてくるというわけである。
 この書の中心的なテーマは、欧米の文化が未知への探求などの「広がり」志向なのに対して、日本の文化は「小さいものに美を求め、あらゆるものを『縮める』ところに特徴がある『縮み』志向であるということである。
 その例として、扇子の発明、箱庭、盆栽、茶室、折り詰め弁当、短歌や俳句、念仏やお題目から現代のトランジスターラジオ、そしてICの開発などを、「入れ子型−込める」「扇子型−折り畳む」「姉さま人形型−取る・削る」「折り詰め弁当型−詰める」「能面型−構える」「紋章型−凝らせる」の6つの「型」にあてはめて縦横無尽に分析している。
 この書を読みながら、わたしは「なるほど、なるほど」としきりにうなづきながら読んでいたら、「欧米の文化は『maybe』の文化である。これにたいして日本の文化は『なるほど』の文化である。」という指摘を読んで思わず笑ってしまった。「maybe の文化は未知への冒険や発見は得意であるのに対して。なるほどの文化は、すでにあるものを新たに確認し納得することで、可能な範囲内でその限度まで勤める文化である」とする。新しい土地にレールを引いていくのは得意でなくても、その引いたレールの上に新幹線を走らせるのは得意なのである。
 日本人が「日本人」論の好きな民族であるのもこの「なるほど」文化のゆえんなのかもしれない。としたらわたしもまぎれもなく「なるほど」好きの日本人であるだろう。

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