「火炎城」にみる大友宗麟の「霊操」

kaenjou白石一郎著「火炎城」を読んだ。これもなかなかおもしろかった。大友宗麟を主人公とする歴史小説である。
こういうあら筋である。

九州の雄大友家の嫡男義鎮は、廃嫡されるはずが偶然に起こったお家騒動により、大友家を継ぐ事に成功する。
大友家を継いだ義鎮は、九州統一を図り近隣を攻め続け領土を広げていく中、キリスト教を伝える為に日本に来た宣教師ザビエルと出会い、話を聞くうちに多少の興味を持つも、キリスト教に対して特に感じるものが起きなかった。
九州統一の戦いの最中、キリスト教に帰依した女性と出会った事をきっかけにキリスト教に入信をした義鎮は、時を同じくして仏門に入り名前を宗麟と改める。
九州の大半を治めた宗麟の元へ、遠縁にあたる日向の伊東家が島津家の侵攻を受け、宗麟に助けを求めて逃れて来ると、宗麟は大軍を率い島津討伐の為に日向へ進軍する。

この本の裏表紙にはこう紹介があった。

天文19年、相続をめぐる大凶変の末、大友家21代目の主となった義鎮(宗麟)は野性味あふる九州男児だった。9国平定をめざして毛利と争うかと思えば、キリスト教に入信し、仏教徒の奥方と壮烈な夫婦喧嘩、正に異色の大名であった。この怪物の生きざまと戦国時代とを劇的に描いた会心作。

確かに大友宗麟は「怪物」である。
この小説に描かれている大友宗麟の生き方は、クリスチャンとしてはどうもいただけないところが多い。
何よりも女性に弱い。
重大な岐路に立たされると姿をくらましてしまう。
国をつかさどるリーダーとしてその資質を疑ってしまうのである。
しかし、その大友宗麟がなぜ洗礼を受けるのか、そこを読みこんでいくととてもおもしろい。

この小説のストーリーもさりながら、わたしはこういうクリスチャンでない人が描いた小説には、特別な視点を持って読むのである。
この小説なら、大友宗麟とフランシスコ・ザビエルとの出会いで、ザビエルという人物がどのように描かれているのか、あるいはこのころの宣教師たち(この小説の場合にはアントニオ、この人は架空の人物と推定されるが)がキリスト教をどのように説明し、人々はそれに対してどのように反応するのかというところである。

ザビエルと日本人の弟子たちの辻説法の様子である。

「よいか、皆の衆。偽りの神や仏に目を奪われてはなりませぬぞ。仏教の生臭坊主どもに騙されてはならぬ。来世の幸せというものは決して金銭では購えぬものじゃ。たとえ神社や寺へ万金を寄進したとて、屁のツッパリにもなりはせぬ。何の功徳も生みはせぬ。何となれば、この広い世の中に皆の衆を天国へ導く御方はただひとりしかおわさぬからじゃ。」
アントニオの声は朗々と透る。しかもその言葉は激烈であった。辻説法にも、好んで寺や神社の近くを選ぶ。挑戦しているのだった。
府内の町ではこれはすぐに評判となり
-南蛮坊主の辻説法と
と聞けば見世物のように人々が群れ集まった。
「皆の衆よ、ようく聞かれよ。おぬしらを極楽へ導く御方は、この世をおつくりなされた万能の神じゃ。その御名はデウスと申される故、忘れてはならぬ。さ、いうて見なされ、デウスさまと…。」
群衆が面白半分にその名を唱える頃合いを見て、ザビエルがアントニオと交替する。
その容貌の珍しさ、紙に書いた十カ条の戒文を読み上げる言葉のたどたどしさが、群衆にはまた面白いらしい。熱心に聞く。

この時代に宣教師たちは神のことを「神」と表現していたかどうか、歴史的考証は必要であろう。神のことを「大日」とか呼んでいたときもある。
次は300人の仏教僧とザビエルとアントニオとが論争する場面である。

「見渡したところ、ここにはおよそ300人の僧侶が来ておわす。この300人を見るにその形においてはそれぞれに手足を有し、頭があり、首が合って、皆同じでござる。しかし、よく見るとその面貌はひとりひとりみな違っておる。これはなにゆえでござる。」
仏僧らは誰も答えなかった。禅問答と本質的に異なる論法を相手が駆使するのに気付き、警戒の色を漲らせていた。聴衆の反応もこわかった。
「ならば申し上げよう」
とアントニオが言った。
「いかなる名工、画工とて手本もなくして、おのおの異なる人面を300人も描き分けることは至難の技でござる。ましてや、この世には幾百万、幾千万の人々がござる。もしこの人々の面貌が皆同じとなれば何となりましょう。君臣はたがいに区別を知らず、夫婦は互いの顔を判別せず、友人も友の顔を見分けえず、大変な混乱に陥ることは必定と存ずる」
アントニオの声はさらに朗々となり、艶を帯びた。
「このような混乱を避けるべく、いったい誰が幾千万の人人間の顔を作りえたのか」
そこで言葉を休め、やがて
「デウスでござる」
高らかに告げた。
「われら人間を含めた万物の主、デウスなればこそ、できたことでござる。それとも貴殿ら仏僧はこれとて自ら成り立ちしもの、あたりまえのことというて、すまされまするか」
この論法は造物主という観念をもたぬ当時の日本人のために、ザビエルが考えたものであった。さらに説法としての具体性をアントニオら弟子たちが加味している。
東洋ではもっとも理くつ好きな人種とザビエルは日本人を認めており、理にかない説得力を持つことを主眼にしていた。しかもわかりやすくなければならない。仏教が庶民の理解を超えた哲学性を帯びる点からも、その対抗策としてキリスト教は分かりやすいことを一つの戦術とした。
-庶民に根をおろせ
というのがザビエルの願いであった。

この小説の中で私が最も興味を持った所は「大友宗麟の心霊修行」のところであった。作者はそれをどのように表現しているのか、そこである。

-心霊修行
と、呼ばれるものがある。
イエズス会に独自の修行法で、40日間の荒行である。
定められた黙想、祈祷など4つの段階を経て、原罪の認識の上に再生し、霊魂をデウスの愛と融合させる。同日に論じることはできないが、仏教でいえば天台、真言の密教修行ににたものであろうか。
津久見に移住して宗麟はそれを実行した。
アントニオがそのためにつきあい、お孝がさまざまに面倒を見た。断食もこの間に数度くりかえす。
修行を終わった時に、宗麟の面貌が変った。
-これがあの…
とアントニオがひそかに驚いている。
野性味をおびたく暗い翳りが払しょくされ、さわやかな明るさがその表情に現れた。精悍な印象が失われて、どこか弱弱しい顔になった。
憔悴のせいもあったであろう。
もともと五欲がたぎりたち、それを抑えかねるくらい表情に、いわば宗麟の個性があった。
若いころは精悍で獣じみてすらみえたものである。
いまは、ない。50歳の平凡な隠居の顔であった。
体力が回復するのを待って宗麟が始めたのは、津久見の住民の家を、軒ごとに訪ねて歩くことである。
漁師や百姓の家にお孝を伴って押し入り、デウスの教えを説いて廻り、
-わが屋敷に来よ。
と、誘った。隠居所の一隅に宗麟は祈祷のための一堂を設けている。そこに人を集めたいのである。

「心霊修行(今は『霊操』と呼ばれている)」についてなかなかうまく表現していると思う。つまり「霊操」はその人の生き方を大きく変えうるものなのであるということだろう。

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