入門講座で「怒り」についてわかちあいました

私が教会で行っている『キリスト教入門講座』にこの春から一組の夫婦がやってきた。
すでに洗礼を受けて、まだ卒業していない男性2名と全部で4名受講者がいる。

この入門講座は、3つのステージからなっていて
第1ステージ 自分との出会い
第2ステージ イエスとの出会い 聖書を読む
第3ステージ 教会との出会い
という構成である。

この第1ステージの構成は次のようである。

そのなかの「怒り」というのがある。これが結構盛り上がるのである。

この集いはまず「怒りの日本語表現」の穴埋め作業からはじめる。怒りの日本語表現の豊かさに驚く。
そして3つの問いかけがある。

第1問 怒りはどのように表れますか?

声を荒げる
赤くなる
ぶるぶる震える
暴力をふるう
髪を逆立てる
………

第2問 人はどんな時に何に対して怒るのか? 最近むしょうに腹が立ったことを一つ紹介してください。

第3問 人は怒りによってどんな効果を狙っていますか?

ここまで問いかけの答えを探してくると、あることにハタと気がつく。
それは「怒り」の効果、ねらいは2つしかないということである。

その二つとは
●自分がただしい、自分はまちがっていない、自分は悪くないということを認めさせる
●おまえが悪い、おまえがまちがっていることを認めさせる
つまり「 I am OK. You are not OK.」の場合しかない。

他に何か思いつくであろうか?
どんな怒りも上の二つのことを狙ってて、それ以外にはない。とてもシンプルである。
それ以外あるだろうか?

自分に対して怒るときは、まちがったことをした自分、ふがいない自分に腹を立てる。I am not OK. であるだろうが、怒りの対象が「Not OK」であることは同じである。
社会に対して怒るとかの「義憤」「いきどおり」も結局は「社会が悪い」ということになる

怒りがすべて悪いわけではない。怒りが必要な場合もある。相手がまちがっていることをどうしても認めさせなければならないこともあるし、自分がまちがっていないことを強く訴えなければならないこともある。

怒りの破壊力は大きい。相手も自分も傷つく。そのことも意識しなければならない。
感情の法則に従えば、「怒りの感情を持つことは悪いことではない。しかしその怒りの感情に従って、暴力をふるったり、激しくののしったり、相手を侮辱したりして、行為に及ぶとそれは罪となる。」のである。
怒りの気持ちを強く感じたときには、このことと、怒りの二つの効果を意識することが必要であろう。

入門講座ではこのあと「怒りをどうおさめるのか? 怒りはどのようにおさまるのか?」を分かち合う。
「怒っている人に対してあなたはどうするのか?」という分かち合いもいい。

その怒りが自分に向けられているとき、あなたはどうするのか?
●怒りを受けとめる、怒りの気持ちや原因をよく聞いてあげる
●怒りたいだけ怒らせておき、嵐が過ぎ去ることをじっと待つ
●怒りには怒りで対抗する こうなると喧嘩(バトル)である。
●ひたする謝る。自分は悪くなくても、相手の気持ちを静めるために
●触らぬ神にたたりなし。はれものにさわるように、寝た子を起こさないように、虎の尾を踏まないように

その怒りの処理方法は
1.自分は怒っているのだと意識する
2.深呼吸3回
3.怒りの気持ちを裁かずに受け入れること
4.誰かに怒りの気持ちを聴いてもらう
5.ゆるす
6.何か別の方向に向けて発散する
7.怒りを洗いざらいぶちまける「電話帳をゴムホースでぶったたく」キューブラ・ロス「生と死と転換のワークショップ」
8.怒らねばならないこともある。不正に対して怒ることは必要なことも多い。

普通はこういうことを意識することはほとんどないだろう。ましてこのように分かち合うこともめずらしいが、分かち合ってみると気づくことがとても多いのである。

そういえば、「怒りを収めるためには祈りがいい」というのを「心のともしび」の「平常心」というテーマで発表したことがある。

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