「手で割る」時の音 平松洋子著「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」

毎日新聞の日曜版に連載されている平松洋子さんのエッセイにつられて、彼女の著書を横浜市立図書館ネットで検索注文したら、「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」という本を読むチャンスに恵まれた。

この本の裏表紙にある解説にはこうある。

キャベツをちぎる、ピーマンを割る、水なすを裂く、いわしを開く、さきいかをむしる、手で肉だんごをつくる、豆腐を崩す……。これまで包丁を使っていたことを手でやってみると、料理が飛びきりおいしくなることを知っていましたか。手を使って料理する快楽とともにレシピを満載した料理エッセイの決定版。

一番最初の「手でちぎる」という所にこんな表現がある。

キャベツは手でちぎる。葉が内側にかたくまるまって、きゅっと結球したひと玉をつかみ、用心深く一枚一枚はがす。べりべりはがすのではない。そおっとゆっくり丁寧にはがすのはそののち訪れる取っておきの快楽のためだ。
はがした葉を水で洗ったら、、いざ、2,3枚束ねて重ね、両手の指でぐわっとつかんで一気にびりっ。キャベツの葉に逆方向の力を加えるや、迷いもなくちぎる。きれいにちぎろうなどとゆめ思ってはならない。力強くいく。ざっくりざっくり、遠慮会釈なくちぎる。さっきことさらに丁寧にはがしてみたのは、この瞬間の快楽に集中したい一心なのだった。
しかし、両手の指に強い抵抗が伝わった次の瞬間、あっけなくちからは行き場所を失って空に放り出される。あとには、右手に右側の、左手に左側の左右に分かれてちぎれたキャベツの破片が残されている。もう一回! ちぎる快感を追いかけて、また数枚重ね、びりびりっ。辛抱たまらん。重ねてはちぎり、重ねてはちぎり……。
はじめてキャベツをちぎった日の興奮を、手が「とても忘れるもんじゃありません」とうちあける。こんなにちぎってどうすんの。ブレーキをかけなくては、とあせるのだが、やめられない。手が喜んで勝手に動く。はっと気づいたら大玉一個。べりべりにくずれ果てていた。
いったいなんなのだ、この快感は。ちぎってちぎってちぎりまくったキャベツの山を呆然とと眺めているうち、ふいに蘇ってきたのは思いがけない記憶であった。

どうだろう。この表現は。私もすっかり「キャベツべりべり」に魅了されてしまった。
こういう表現があちこちにあるのだ。この本は、いやこの著者はすごい、と改めて再認識した次第である。

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日本語の料理を食べた時のおいしさを表現する言葉はとても貧困だと思うが、料理に関することとの表現はとても豊かだと思う。この本はまさにそういう本である。料理をする楽しさをこれほど見事に表現した本はないだろう。

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