釜石で体験したこと
3月13日から、17日まで釜石にいきました。釜石教会にあるカリタスジャパンの救援ベースを拠点にいくつかの支援活動にさんかしました。
14日は被災地の視察にいきました。大槌町、陸前高田、大船渡をたずねました。大槌町では大槌城址に登って町を一望しました。陸前高田では津波に襲われた体育館がそのままの形で残されていました。そしてあの一本松はすっかりかんこうちのひとつになって観光バスがひっきりなしに訪れていました。
また、九州の教会が応援して設けた大槌ベースと大阪の教会が支援している大船渡ベースにもよりました。北海道の教会が支援している宮古ベースにもいきたかったのですが、そこまで足を伸ばせませんでした。
15日は、写真洗浄の仕事に参加しました。といっても洗浄の仕事をしていたわけではなく、洗浄した写真を展示している会場の受付にいました。ほとんどが津波で家を押し流されたり、家族をなくしてしまった人なのでしょう。身寄りの人の写真をいっしょうけんめいさがしておられました。
会場にこられた方々が身寄りの方の写真を見つけたときのうれしそうな表情が印象的でした。
16日は、日向(ひかた)みなしのフィリアにいきました。地域の集会所で開く「お茶っこサロン」に住民の方をお招きして、一緒にお茶を飲みながらおしゃべりしました。お茶の道具だけでなく、手芸用品や子供のおもちゃを持っていって、一緒に楽しむ集まりです。
ここは仮設住宅ではなく、普通の団地なのですが、被災地のかたが多く移り住んできた土地です。それだけになかなか難しいところがありました。。
私ともう一人の女性は組みになって団地を戸別訪問して、お茶っこサロンでお待ちしていますとお伝えしました。
半数の家からはなんらかの応答がありました。ドアフォンで「カリタスジャパンです。こんにちは。本日集会所でお茶っこサロンを開いています。どうぞお出かけください」とご案内しました。
ほとんど半数の家からは応答がありましたが、実際に集会所にこられたのは15名くらいでした。そのうち子どもは4人でした。
午後、わたしは子供達の相手をしていました。持っていった「カンタン笛アラカルト」を使って子どもたちと遊びました。
こんなことを言うと不謹慎かもしれませんが、わたしは釜石での生活をエンジョイしたと思います。被災地の方とのふれあい、ボランティアとの出会い、釜石教会での祈りとミサ、そしてベースでの美味しい食事、さらに言えば往きの東北道での自動車事故さえも実はエンジョイしたとも言えるような気がします。
また来ようとおもっています。