ベルリンの壁の前で弾いたマエストロ
「カトリック生活」2月号の「カトリック・サプリ」に竹内節子さんがこんな話しも紹介していた。
1989年の11月の初め、長い間難攻不落かに見えていたベルリンの壁が崩れた。東西の長い冷戦に雪解けが訪れ、分断されていた人たちが互いに『あちら側』に殺到したのだ。パリでそのニュースを知らされたチェロの巨匠ロストロポーヴィチは、居ても立ってもいられなくなって、その二日後に現場に駆け付けた。パトロンでもあった会社経営者に電話して自家用ジェット機を飛ばしてもらったのだ。
ロストロポーヴィチは、反体制作家のソルジェニーツィンを支援したことでソ連国籍を剥奪されて15年間も国外追放されていた。その間も「自由」のためにあらゆる方法でアピールを続けていた。ベルリンの壁の崩壊は、二つに裂かれていた自分の心が一つになることだったのだ。
そのときに彼の心に浮かんだのは、チェロをもって倒れた壁の前に行き、神に感謝の祈りを捧げたいということだ。誰かのために演奏するというのではなかった。
演奏するのはバッハの無伴奏チェロ組曲、バッハの音楽は彼にとって神につながる「言葉」だったからだ。男二人とチェロ1台は、飛行機から降りてタクシーに乗り、壁のチェックポイントを立て、すでに若くない巨匠は、すぐにバッハを弾き出した。
私たちはこのときの様子も今、ウェブ上で見ることができる。彼のすぐそばに小さな人垣ができたものの、後ろの壁に何かを書き続けている人もいれば、すぐそばを通り過ぎていく人もいる。おおぜいの人がてんでバラバラに自由と平和の訪れに歓喜し、興奮しているのだ。ワシントンの通勤時間と違って、そこにあるのは非日常であり、歓喜の昂揚だった。
雑踏の路上の演奏は、音響や完成度の点ではそれなりのものでしかなかった。けれども彼が誰だか知らないでまわりにいた人たちと彼は確かに何かを分かち合っていた。一人の若者が、サラバンドを聞いて泣いていた。
この映像を YouTube で見つけた。
これを見て何を感じ、何を考えたであろうか?
竹下さんはこんなふうに述べていた。
聞こえていても聞いていない、きいていてもわからない、わかっても共感しない、そんなことはたくさんある。「耳をすまして分かち合う」というのは、意志によって起こすアクションだ。耳をすまして分かち合おうと一度決意すれば、わたしたちは静寂を聞くこともできる。
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口を閉ざして傾聴することは、豊かな静寂の大洋の中深く潜り込むことでもあるし、静寂が自分の中に満ちてくるままにすることでもある。そうすることでしか聞こえてこない聖霊の声があるのだ。
「傾聴」とは、祈りのひとつのかたちにほかならない。
この最後の分が気に入っている。祈りに対する神の応えは「傾聴」しなければ聞こえてこない。だから聖堂で祈ることや黙想会で祈ることが必要なのであろう。