「須賀敦子の世界」に魅了される

 友人の女性から須賀敦子の本をすすめられた。もちろん名前は知っていたし、いつかは読みたいと思っていた本なので喜んで借りて読むことにした。最初に借りた本は2冊。「コルシア書店の仲間たち」と「トリエステの坂道」。
はじめはなんかとっつきにくい文章だった。意味がつかめなくて同じところを2度3度読み返したりした。
しかし、3冊目の「ヴェネチアの宿」から俄然勢いづいてきて面白くなった。
 そしてそのころ、本を薦めてくれた友人と神奈川近代文学館で開催されている「須賀敦子の世界」展を見に行った。先日の茨木のり子展と同じくらいにぎわっていた。見に来ている人は8割がた女性だった。
 ゆっくり時間をかけて須賀敦子の文章を味わった。読めば読むほど味わいの出てくる文章なのである。
私はまえに石垣りんの文章と平松洋子の文章を激賞した。この人の文章もそれにおとらないというか、それよりも勝るというかそういう文章であった。

 例えばこんな文章である。戦後すぐの聖心の学生時代の寮生活について述べた文章である。

 このように、すべてが英語というのに加えて、日常そのものが腰が抜けそうに昔じみていたり、同じくらい新鮮だったりする。迷路のような寄宿舎の毎日に、私たちは、はじけそうな反抗心と好奇心につきあげられるようにして、まるで夏の海で波乗りに時間のたつのを忘れる少年たちのように、嬉々として挑んでいた。あらゆる種類の欠乏にみちた暮らしではあったけれど、つい何か月か前まで、空襲の下をかいくぐりながら、今日は死ぬか、明日は家が焼けるかと覚悟ばかりあしていた暮らしにくらべると、命の尺度が変わっただけでも、何もかもが愉しかった。
「ヴェネチアの宿」

 この短い文を読んで何を感じるだろうか? 
 いったい「腰を抜けそうに昔じみていたり」というのはどういうことなのか想像がつかないほどである。でもその驚きの大きさがしっかり伝わってくる。
「はじけそうな反抗心と好奇心につきあげられるように」という表現のいい。
「まるで夏の海で波乗りに時間のたつのを忘れる少年たちのように」
こういう表現が随所にちりばめられている。

 とにかく人物描写がうまい。取り上げられた人物の癖から臭いからすべて伝わってくるようである。

 この人についてはまた書くことにする。また素敵な文章に出会うことが必定だからである。

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