細井平州と上杉鷹山

 学校をやめてから小説を読むことを解禁した。学校時代は小説を読むのは「時間泥棒」だとしていくつかの例外を除いて読むことを自分で禁じていた。本当は好きなのだが、これを読み出すと他の本が読めなくなるからである。
 解禁になって最初に読んだ本は「ローマ人の物語」で、次に藤沢周平の本を手当たり次第に読むことにした。おもしろい。なぜ藤沢周平なのか、ある本で藤沢周平の本のテーマは「無償の愛」だというのを読んだからである。クリスチャンでもないのに「無償の愛」なのかといぶかしく思った。

 今読んでいるのは「漆の実のみのる国」である。これは上杉鷹山の藩政改革の話しである。なかなかおもしろい。
 上杉鷹山についてはいずれまた書くことにして、ここではまず細井平州について書くことにしよう。
 おりしも9月26日の朝日新聞の「磯田道史のこの人この言葉」が細井平州であった。磯田によると江戸の儒者で講義の名手である3人のひとりである。他の二人は佐藤一斎と室鳩巣らしい。

 細井平州は、はじめ貧しく両国橋のたもとに辻講釈に出ていた。編み笠をかぶり、扇子一本もって辻にたち。通行人に道徳を説いて銭をもらうのである。平州が語れば人だかりができ、やがてその話に感じすすり泣く人が絶えなかったという。そのありさまを米沢藩の儒者が見かけ、藩主上杉鷹山の師に抜擢された。平州は鷹山に必死で説いた。
 我が身が餓え凍える苦しみより、まず子どもらが餓え凍えることを嘆き悲しむのが人の本性です。民百姓にとって餓えから救ってくれる親は殿様以外にいません。臣民を子どものように思えば師一人だけ安楽にはいられないはずです、どうか臣民と艱難を分かち合って藩のむだ遣いを省き、飢えた民を救ってください。

 実はこの辻講釈のくだりは「漆の実のみのる国」にも出てくる。米沢藩の儒者藁科松柏が細井平州の辻講釈に出会う場面である。

 人だかりの中に、人品いやしくない男が立っていて、何ごとか講演をしていた。男の齢は30前後。骨組みのしっかりした体つきで、地面を踏みしめた足は微動だにしない。
 しばらく耳を傾けているうちに、松柏は軽い驚きを感じた。男の講じていることが経書のそれも礼記の一説ではないかと思われることに先ず驚き、次にその講演をあきらかに市井の女房と思われる女たちがまじる聴衆が粛然と聴いていることにまた驚いたのである。
 難しい書物のことを話しているのに、男は誰にでも分かる平易な言葉を用い、その上ふぉく身近なところから豊富にたとえを引っ張ってきて講義するので、聴衆が惹きつけられているのだと思われた。

 このあと平州は当時12歳であった上杉鷹山の師として米沢藩に招かれるのである。鷹山はそしてあの大改革をやり抜き、窮乏していた藩の財政を立て直すのである。
 それにしても「辻講釈」とは恐れ入った感じである。古代ギリシャか春秋戦国の時代みたいである。

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