心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん

shukyonokyokasho私の尊敬するもと朝日新聞の記者である菅原伸郎氏は、私の主宰する「宗教倫理教育担当者ワークショップ」にも取材に来られ、その内容を朝日新聞夕刊の「心のページ」の「心のレッスン」というシリーズで紹介してくれました。
その菅原さんが、朝日の記者を辞めて、大学で「宗教」の授業を担当されています。その授業のことを書いた「宗教の教科書12週」(菅原伸郎著 トランスビュー刊)に次のようなことが「祈る」という章に書かれていました。

平安時代の菅原道真(845〜903)も
心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん
と詠んだとつたえられています。勉強にしろ、仕事にしろ、誠心誠意の努力をするならば、祈らなくても、神は守ってくださる、という意味です。といって、神の存在や祈りを否定したのではないでしょう。いまさら祈らなくても、神は見守ってくださる、という絶対の信頼があってこその歌です。道真は死後に「天神さま」として祀られて合格祈願の神として有名になりますが、当人は「努力さえしておけばとくに祈らなくてもいいよ」といっていたのですから、皮肉なものです。

この歌をどう考えたらいいでしょうか?
「誠の道にかなって」生きようとすること自体が祈りであるような
そういう生き方のことをいっているのかなとも思います。

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