平松洋子「私の断食1週間」に耽溺する。

平松洋子著「野蛮な読書」という本を読んでいる。この人の文章のうまさ、おもしろさは絶品であると前にも書いた。

「手で割る」時の音 平松洋子著「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」
平松洋子さん「小鳥来る日」の小躍りしたくなる筆致
平松洋子さんの「小鳥来る日」というエッセイの連載が楽しみです。

 このブログに3回も登場している。これからもまた登場するであろう。私はこの人のファンなので、この人の書くものはチェックしている。このブログのネタになるような Good News の宝庫みたいなものである。
 今回は「野蛮な読書」である。いろいろな本の紹介本であるのだが、わたしにはどこが「野蛮」なのか今ひとつつかめてない。
 その中でこんな文章があった。「わたしの断食1週間」、つまり伊豆の断食道場で過ごした1週間が克明に書かれている。
 本当は日曜日からいくはずだったのが、都合で行けなくなってしまった初日の「断食」できなかった体験にはじまり、行きの「特急踊り子号」の中での読書と「何も食べずに来てください」との誘惑との戦いにつづく。
 それからその日のメニューがでてくる。

火曜日
 早朝 ヨガ 気功体操
 朝 野菜ジュース1杯
 午後 歩く(1万305歩)
 夕方 野菜ジュース1杯
 夜 ヨガ

 その日をどのような気持ちで過ごしたかということが毎日書かれている。

なんだかんだとけっこう忙しいのである。行動は一切自由なのだが、集会室で行われている6時半のヨガや7時半の気功体操にどれどれと律儀に参加しているだけで時間が自動的に進行する。

 この気持ちは完全沈黙の8日間の黙想会〔霊操)に参加したときの気持ちと同じである。

「空腹になったら歩け」はダイエットの鉄則と聞いていたけれど、どうやら本当である。食べずにいるとむしょうに歩きたくなるのだ。………
いざ歩き始めると空腹感が消えて爽快感にかわり、能がよろこびはじめるのである。うそだろうと思うのだが、ほんとうなのだった。………
あっという間に1時間半あるいて帰り着き、ひろい温泉風呂にざぶんと浸かると、ぺったんこの腹がうれしい光景に映るのだった。

 そして読書である。こんな時に読む本を選んで持参したその本が次々と紹介されている。

空腹のとき読みたくなる本はなにか。見当がつかないから雑多な本を10冊ばかりバッグに突っ込んだのだが、風呂上がりにすんなり手が伸びたのはこの2冊である。
正岡子規 「墨汁一滴」「仰臥漫録」
何度も読み返した本なのに、荷造りをしているときふと予感が働いた。食べない、または食べたくても食べられないこれからの1週間、病床わずか6尺にあって食べることに執着した子規にすこしにじり寄れるのではないかと。

はじめは空腹からの逃げ場だったが、やっぱり耽溺した。………子規のいのちが充溢している。しだいに病床の人の魂に指を伸ばしている感覚を覚えて、さらに読み耽る。
夕刻は野菜スープわずか1杯。五臓六腑に沁み渡る。野菜の味わいに集中しながら噛むようにして時間をかけてのみ、ふたたび部屋にもどってベッドの上で「墨汁一滴」。消灯10時。

 ほんの僅かのスープや重湯の味わいと散歩の中継と読書の体験とが克明につづられている日記である。でもあきない。それどころかこっちまで断食をしているような錯覚さえ覚える。
 こうやって引用していると全部を引用したいという錯覚にもおちいる。
 読み終わって、ためいきをついて、そしてこれがなぜ「野蛮な読書」なのか少し分かったような気がする。でもすこしだけである。

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