クリスマスの夜 高村光太郎

高村光太郎の詩に「クリスマスの夜」という詩がある。これがなかなかいいのである。どういうところがいいか、じっくりと読み込んでほしい。

クリスマスの夜 高村光太郎

郊外の友だちの家でクリスマスのお祭りをしたかへり
まっ暗な廣い畑中の道を
大供小供うちまぜてひとかたまり一緒に歩いてゐる
わけもなくうれしく騒いだので今はみんな
少し疲れて黙りがちである。
小さい人達はおまけにねむさう
冬の夜の靄があたり一めんの黒い土によどみ
風の無い心とした身籠もったやうな空には
ただ大きな星ばかりが匂やかにかすんで見える。
天の蝶々オリオンがもう高くあがり
地平のあたりにはアルデバランが冬の赤い信號を忘れずに出してゐる
森のむかうの空に東京の町の灯が
人なつこい暖かさに明るくうつる
とぎれとぎれに話しを為ながら
今夜の思出に顔を埋めながら
空をたよりに暗の夜路を
しづかに停車場に向つて行くパブリゴスの國のやからである

わたしはマントにくるまつて
冬の夜の郊外のつめたい空気に身うちを洗ひ
今日生まれたといふ人の事を心に描いて
思はず胸を張つてみぶるひした
−おう彼の誕生を心から喜び感謝するものがここにもゐる
この世に彼を思ふほど根源の力を與へられる事はない
湯にひたるやうな和ぎと滴る泉の望みとが心に溶け入る事はない
どんな時にも彼を思ひ出せば
萬軍の後楯があるやう
おのれの行く道をたより切つて行ける氣がする
こんなかはい想な今の世にも清らかな微笑が湧く
塵にうもれてゐる事さへ幸福をさとる
彼がゐたと思ふだけで魂は顔を赤めて生きいきして來る
彼はきびしいがまたやさしい
しののめのやうな女性のほのかな心がにほひ
およそ男らしい氣稟が聳える
どうしても離れがたい人
この世で一ばん大切な一つのものを一ばんむきに求めた人
人間の弱さを知りぬいてゐた人
しかも人間の强くなり得る道をはつきり知ってゐた人
彼は自分のからだでその道を示した
おう彼を思へば奮ひたつ
心が燃え
滿たされる
彼はじつさい天の火だ
おう彼の誕生を心から喜び感謝するものがここにもゐる

−彼の言葉はのっぴきならぬ内側から響いて來る
痛いところに皆觸れる
けれどやがて又やさしく人を抱き上げる
人に寛闊な自由と天眞とを得させる
おのれの生来に任せきる度胸とつつましさを得させる
俎のの上に平氣でねさせる
地面の中から萬物と聲を合わせて宇宙の歌をうたはせる
おのれをくじらかさないで
おのれを微妙に伸びさせる事を知るたのしさ
此は彼からわたしに來たやうだ
彼は今でもそこらにゐる
一ばん古くて一ばん新しい
いつでもまぶしいほど初めてだ
古さをおそれるものに新はない
社會の約束がどう変わつても
彼を知る人間は強いだろう
彼を知る事はおのれの生來を知る事だ。

−わたしもこの日本に生まれて人の心の糧にたづさはる人間だ
無駄なやうなしかし意味深いいろんな道を通つて來た
いろんな誘惑にあひながらも
おのれの生來はその度に洗はれた
おのれの役目は天然に露出して來た
今彼の事を思ふのは力である
どんな誘惑にもたちむかはう
誘惑からも取るものは取らう
さうして 此の土性骨を太らせよう
出來る事なら肉もつけよう
夏の日にあたつても平氣な土着の木にならう
薄ぐらい病的な美は心を惹くが別の世界だ
いぢけた九年母のやうになりたくない
ただ目ざすのは天上だ
おうそして飽くまでもこの泥にまみれた道を立たう
ひた押しにあの自然と寛政角力を取らう
窯変もののこじれた癖は辞退しよう
臭みを帯びた東洋趣味に堕するのも恐ろしい
すがれた味に澄み切るのもまだ私の柄でない
いかに不恰好らしくても
しんじつ光を吸つて靑天井の下に生きたいのだ
それが出來れば一つの美だ
人間の行く道には今でもこの世の十字架が待ってゐる
おうけれどそれを避けるものは死ぬ
私はただ招かれた一つの道を行かう
彼も歩いた道である
何といふ光榮
おう彼の誕生を心から喜び感謝するものがここにもゐる

暗の夜道を出はづれると
ぱっと明るい光がさしてもう停車場
急に年の暮じみた陽氣な町のざわめきが四方に起り
家へ歸つている事を考えている無邪氣な人たちの中へ
勢のいい電車がお伽話の國からいち早く割り込んで來た

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