「かるさん屋敷」井伏鱒二作を読んだ

井伏鱒二がキリシタン小説を書いているところが意外である。しかもそれは殉教の時代ではない。信長が溌剌と活躍していたときの安土のセミナリオが舞台である。九州有馬に作られたセミナリオとこの安土に作られたセミナリオの特徴をよく描いている。安土セミナリオの日常生活は興味深い。

本の裏表紙にある紹介文である

「かるさん」はポルトガル語の軽袗です。モンペの一種です。戦国のころ、ポルトガル人によって将来されました。当時の絵図で見るとモンペよりも仕立てがふっくらとしてなんとなく典雅です。……近江の安土城下に所在した学問所の門前にあった屋敷には、いつも軽袗をはいた人たちがいて、それで「かるさん屋敷」と呼ばれていた。

帯にはこんな風にこの本の紹介がある。

井伏氏の豊かな詩情のうちにユーモアとペーソスをたたえた独自の作風はすでに定評のあるところで「かるさん屋敷」は戦国時代安土城下のセミナリオに材をとり、当時信長が全国から集めたキリシタン学とのはつらつたる姿を描き、恋と夢と冒険にみちた青春物語です。

安土セミナリオにいた人々は、オルガンチノ神父、イルマンロレンソ了斉、漢文の教師碌々軒、国語の先生ビセンテ桐院、そして学生としては後の26聖人のひとりとなるパウロ三木、そして伊東マンショの兄伊東ジェロニモ義勝などが登場する。
ストーリーとしてはセミナリオの日常生活がたんたんとつづく。何か事件が起きるかと期待するが何もない。事件と言えば、最後にゼロニモ伊東は本当は天正遣欧使節のひとりとなるはずであったのだが、それが行けなくなって、代わりにいとこのマンショが行くことになったことくらいであろう。
そういえば「遥かなりローマ」(今西佑行著)という少年向けの小説はこの伊東ジェロニモが主人公であった。ただしこちらの方では伊東祐勝となっている。

この小説の最後はローマに行く夢がかなわなかったジェロニモのためにセミナリオの生徒たちが「テデウム」というラテン語の歌を歌って慰める所で終わっている。その後のジェロニモがどうなったのか、あるいは本能寺で信長が殺された後のセミナリオがどうなったのか、それについては何も書かれていない。
なお、この小説には続編があるらしい。「安土セミナリオ」というタイトルで、こちらには信長の死以降のセミナリオについても書かれているということである。

このブログのトップへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA