自分の幸せとだれかの幸せ

毎日新聞の日曜クラブで連載中の小川糸さんの「日曜日ですよ!」にこんな祈りが紹介されていた。小川さんは寝る前や朝起きたときにこの祈りをするという。この人は特別に宗教をもっている人ではないようである。

自分の幸せと誰かの幸せ

毎晩寝る前や、朝起きた時など、布団に横たわったまま、瞑想するようにしている。
同じ言葉を唱えるのだ。

私が幸せでありますように。
私の悩みや苦しみがなくなりますように。
私の願い事が叶いますように。
私に悟りの心が現れますように。

私の親しい人たちが幸せでありますように。
私の親しい人たちの悩みや苦しみがなくなりますように。
私の親しい人たちの願い事が叶いますように。
私の親しい人たちが悟りの心が現れますように。

生きとしいけるものが幸せでありますように。
生きとしいけるものの悩みや苦しみがなくなりますように。
生きとしいけるものの願い事が叶いますように。
生きとしいけるものに悟りの心が現れますように。

私の嫌いな人たちも幸せでありますように。
私の嫌いな人たちの悩みや苦しみがなくなりますように。
私の嫌いな人たちの願い事が叶いますように。
私の嫌いな人たちに悟りの心が現れますように。

私を嫌っている人たちも幸せでありますように。
私を嫌っている人たちの悩みや苦しみがなくなりますように。
私を嫌っている人たちの願い事が叶いますように。
私を嫌っている人たちに悟りの心が現れますように。

そして最後にもう一度、
生きとしいけるものが幸せでありますように
で終わる。

 これはスリランカの仏教のお坊さんが提唱している祈りであるらしい。
 そうしたら1月22日の毎日新聞の投書欄にこの祈りに共鳴した主婦の方の投書が載っていた。

 寝る前や朝起きたときなど瞑想をするようにしていて、自分の幸せをまず願い、それから親しい人たちや生きとし生けるものの幸せを願い、さらには自分の嫌いな人たちや自分を嫌っている人たちの幸せを願うと書かれていました。これを読むだけで、とてもうれしい気持ちになれました。
 自分自身が幸せになる延長線上に、誰かの幸せもあるという考え方。私自身は眠れない夜など、とりあえず「ありがとう」と心の中で繰り返し唱えることはあるのですが、自分の嫌いな人や自分を嫌っている人のしあわせをかんがえたことはありませんでした。
小川さんも初めのころは抵抗があったものの、今は何も思わないとのこと。私もそうなるように、この言葉を唱えて瞑想をしたいと思います。

 この祈りは宗教を超えた普遍的な祈りであると思う。祈りは宗教の独占物ではない。宗教を信じていない人ももちろん祈っていいのだと思う。無宗教の人の祈りでも神さまも仏さまも必ず聞き届けてくださるであろう。

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