村木嵐「マルガリータ」は千々石ミゲルをやさしく描いた

天正遣欧使節の4人の少年たちのひとり、千々石ミゲルは棄教したということは前にも紹介した。
けれども彼がなぜ棄教し、その後どういう人生を送ったのかは明らかになっていない。そこに彼の生涯について小説にする面白さが出て来るのかもしれない。
前に青山敦夫作の「千々石ミゲル」を紹介した。そこでは彼はたまという女性と結婚して夫婦ともに棄教したことになっているが、信仰は守って生きたというように紹介していた。
この小説でも似たような設定になっている。ミゲルはたまという女性と結婚し、夫婦ともに棄教したことになっているが、心の中で信仰は捨てていなかったという設定である。

この本は村木嵐という京都生まれの女性が書いた。2010年のカトリック新聞の記事によると、彼女は24歳の時京都で洗礼を受けた。そして司馬遼太郎夫人の家に入ってお手伝いさんをしていたという。
司馬遼太郎夫人の福田みどりさんに見てもらおうと書いた小説がこれで、2作目だという。それがなんと松本清張賞を受賞した。
なんで松本清張賞なのかと思うのだが。

出版社のホームページにはこんな紹介文が載っていた。

今年の松本清張賞受賞作は、歴史と信仰の謎にせまる超大型の作品です。戦国末、九州の大名によってローマに派遣された天正遣欧少年使節。しかし、帰国した彼らを待っていたのは禁教でした。4人の内、ある者は道半ばで倒れ、また国外に追放され、拷問の中で殉教します。ところが、ただ1人、棄教したのが千々石(ちぢわ)ミゲルでした。切支丹の憎悪を一身に受けながら、何の為に彼は生き抜こうとしたのか? ミゲルの苦悩の生涯を、側で暮らした女性の目で描く傑作です。

この小説のテーマは4人の少年たちの信頼と友情であった。ミゲルは棄教したにもかかわらず、伊東マンショや中浦ジュリアン、原マルチノとの友情は持続していたと見る。
もうひとつのテーマは、福音書の「マルタとマリア」である。大村純忠の娘伊奈姫とミゲルの妻となったたまとの関係がマルタとマリアの関係になぞらえている。

この小説のクライマックスは、潜伏していた中浦ジュリアンがつかまり、ミゲルが奉行所に呼ばれて、この男は本当に中浦ジュリアンかと問いただされる場面であろう。その時のミゲルとジュリアン、そして妻のたまとのやり取りがとてもドラマティックなのである。
この場面を読むとなるほどここが松本清張賞なのかと思われるところである。

以下はカトリック新聞に掲載されていた著者のことば。

「珠のように名もない人たちがキリスト教に深くつながり、毎日毎日祈り、自分に与えられた場でがんばって時代をすすめていった。そして4人の友情、信頼関係、目標に向かっていくこと。それはカトリックの信仰そのものだと思いますが、そういう所を読んでほしい。〝媒体”として時代小説ですが、今とつながっている。私の小説を読んで信者の方が信仰を見直すなんて恐れ多いです。読んでもらえるとうれしい。信者の人、長崎の人などがどう読んでくださるでしょうか。

殉教を背負った過酷なキリシタン時代を描いたしょうせつであるが、それを描く著者の筆致に優しさを感じた小説である。

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