受講生の力の差を感じさせない日本語教室がいい

3日の養成講座の中で、講師の先生がなかなかいいことを話されていたので、紹介したいと思います。

地域のボランティアの日本語教室では、受講する外国人の能力差を意識しないようにもっていくのがいい。もちろん能力差は歴然とある。母語がどこの国のことばか、あるいは学歴、そして個人の能力など、能力差を作る要因も様々である。
こういう多様な能力を持つ受講者たちが、自分の能力をほとんど意識せずにすごせたら最高だというのである。

日本人が受けてきた教育は、ほとんどが能力差を作り出すような教育であった。常に能力が比較される競争のなかで教育を受けてきた。だから、こういう授業運営はほとんどの人に理解されにくいであろう。

こういう能力差を感じさせない教育というのはどこかにあるだろうか?
たとえば料理教室はあまり能力差を感じさせないのではないか。
どうしてか? 
それは参加者全体が楽しんでいるからだと思う。

つまり日本語教室でも、対話を楽しんでいさえすれば、能力差を感じずにすごせるのである。そしてそれが日本語が上手になるコツなのかもしれないとも思う。
問題はどうやって日本語教室をたのしいものにするかであるが……。

確かに日本の教育は、能力差をつくりだして評価するというシステムの中でつくられてきた。だから能力差を感じさせない授業なんてはたして可能なのかどうか。
地域のボランティア日本語教室だからこそ可能なのかもしれない。

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