人はキリスト者に生まれるのではない。キリスト者になるのだ。

「カトリック生活」という雑誌の11月号に竹下節子さんの「カトリックサプリ」という連載記事が目にとまった。
私はこの人のセンスが好きである。この人の記事には Good News がおおいのである。

その話しは「キリスト者になるとはどういうことだろう」というたいとるであった。そのはじめの方にボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」という有名な言葉が引用されていた。これは「女性のアイデンティティーとは生まれながらのものではなく、社会的に少しずつ押し付けられる約束事だというもので、その後のジェンダー論の基礎となった」

ところが、実はボーヴォワールのこの有名な言い回しはフランスの哲学講義には必ず出てくる先人たちの言葉を下敷きにしている。
ひとつはルネサンスのユマニストであるエラスムスの「人は人に生まれるのではない、人になるのだ」という言葉で、それは更に別の言い回しを踏襲したものだ。
3世紀前後にカルタゴに生きた教父テルトリアヌスの「人はキリスト者に生まれるのではない。キリスト者になるのだ」という言葉である。
前者は自立した個人の自覚を促すもので、後者は迫害されて殉教するキリスト者たちの姿を見て回心したテルトリアヌスが、共同体宗教から個人が選び取る宗教への転換を述べたものだった。

ボーヴォワールの言葉はすごいなと思ったけれど、それよりもエラスムスも、テルトリアヌスもなかなかすぐれた思想家であると思う。
こん度テルトリアヌスという思想家を調べて見ることしよう。

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